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「さすけねぇ福島」 福島を支えよう! [東日本大震災]

  
平成23年9月14日(水)月歴8月17日 2010年日記
  
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今週月曜日に、7回目の募金をしてまいりました。
そんな中思う事は、これからは福島を支えなくては!という思いです。

先週福島のTaMAちゃんとメールしたのですが、その中で感じたことは、
福島は放射汚染の恐怖にさらされ、いままだ震災当事者だという事です。

この事は現地に行ってみないと分からないと思います。
宮古に行っても思うのですが、被災現場以外の風景は変わらないのです。
東京と変わらないと言ってもいいくらいです。
しかし一歩津波の被災地に行けば、復興が全く進んでない現実があります。

それと同じように、福島の街をテレビで見ても普段通りに映ります。
しかし、そこで暮らす人達の心情は量り知れません。
放射能の恐怖、その風評被害。それをTaMAちゃんのメールで感じたのです。

目に見えない恐怖。それはどれほどなのでしょう。
震災半年で仮設住宅の建築も一段落し、復興も進んでいるように感じます。
しかし、福島は別です。
福島第一原発が完全に収束するのは10年、20年先なのでしょうか。
その間、ずっと苦しみ続けるのです。

福島県民は、3月11日から何も変わっていないのだと思います。
福島県民が心から安らぐ時まで、僕らは彼らに思いを伝えなくてなりません。

そこで福島の方を支える方法には、いろいろあると思います。
「買って・食って・支える」(日記2269
僕はまず福島県の物産を購入する事だと思います。

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さすけねぇふくしま!!復興支援」 
このサイトは福島の東邦銀行が、風評被害に苦しむ県の支援に乗り出し
県内の商品を集めた通信販売のカタログ「さすけねぇ ふくしま」をつくり、 
商品の送料も東邦銀が負担するという支援サイトです。

「さすけねぇ」は福島弁で「問題ない」という意味だそうです。

もちろん、福島県産だけでなく東北全般の商品も買いたいと思います。
買って・食って・支える」そして
がんばっぺ福島!」そして「さすけねぇ福島!

東電が撤退?! 菅元首相のインタビュー [東日本大震災]

  
平成23年9月7日(水)月歴8月10日 2010年日記
  
いま菅元首相が各メディアに出て、福島第一原発の事故発生当時の様子を
語っています。(東京新聞、朝日新聞、読売新聞、日テレ、フジテレビ)

そこで驚くのは東京新聞に掲載された内容、
「十五日の午前三時ごろ、海江田万里経産相(当時)から
東電が撤退したいという意向を示している』と。」この事実が
テレビではカットされていたのです!

斉藤和義「ずっとウソだった」や制服向上委員会「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」
など多くの原発反対ソングがテレビでは流れないという事実をご存じですか?!

大スポンサーである電力会社に不利になる放送が流さないのがいまのテレビ局!
テレビだけでは福島第一原発の正しい情報が入って来ないのはずなのです。

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首都圏壊滅の危機感 菅前首相に聞」(TOKYO Web)
このWebニュースは新聞に記載された全文が載っていません。

そこで自分で新聞をスキャナーし苦手な校正もして、アップします。ぜひお読み下さい。
東京新聞 9月6日(火)朝刊
菅直人前首相が本紙の単独インタビューに応じ、福島第一原発の事故発生当初の自身の動きや危機感、「脱原発依存」宣言に至る背景などを語った。一問一答は次の通り。(聞き手=加古湯治、宮尾幹成)

●不信
■第一原発が大変なことになると、最初に感じたのはいつか。

「最初の最初だ。電源が喪失し、冷却ができない。それが何を意昧するか分かっているから、『これは大変なことだ』と思った」
「まず電源と言うので、電源車を持って行けと。はじめはヘリコプターで運ぼうと思って重さとか寸法を測ったらどうしても運べない。陸路でかき集めた電源車を持っていき、つなごうと思ったらつながらない。ポンプで水を入れようと思ったらホースが届かない。ずーっと、そういう状況に追われていた」

■その中で、なかなか正確な情報を把握できない。
「きちんとした報告が入ってこない。水素爆発もそうだ。『格納容器内は窒素で満たされているから、水素爆発なんてあり得ない』と、原子力安全委員会は言っていた。だが、実際には建屋内で爆発が起きた」

■ヘリで現地に行ったのは、そういうじれったい状況を何とか打開したかったから?
「原子炉の状況を一番分かっているのは、東京電力だ。だが、東電は現場と本店でツークッションになっていて、ベント(排気)が始まらない理由が正確に伝わってこない。それで現場の責任者ときちんと話をしようと考えた」

■十五日に東電本店に乗り込むのは、第一原発から退避するという話が一番の原因か。
「十五日の午前三時ごろ、海江田万里経産相(当時)から『東電が撤退したいという意向を示している』と。(第二原発と合わせ)十基の原発と十一個の(核燃料)プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉やプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)し、大量の放射性物質が放出される。清水(正孝)社長(当時)を呼んで聞いたら、はっきりしたことを言わない。それで本店に対策統合本部をつくった」
「撤退なんてあり得ない。撤退したら今ごろ、東京も入っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさにの本が国家として、成り立つどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれないんだから」

■統合本部の設置が分岐点だったと。
「本部を立ち上げ、海江田大臣と細野豪志首相補佐官(当時)を張り付けたことでグリップが効きはじめた。米国との関係もそれからうまくいくようになった。心配してくれたが、こちらにも情報がないから伝えられない。それで、隠しているんじゃないかと疑念を持たれた。統合本部に米国の専門家にも来てもらい、不信感がなくなった」

●転換
■一番危機感を持った時期は?
「最初の一週間だ。東京に入っ子一人いなくなる情景が頭に浮かんで、本当に背筋が寒くなる思いだった」

■そういう経験を踏まえての脱原発依存宣言だったと。
「3・11前は、安全性をしっかり確認して原子力を活用していくスクンス。私自身『日本の技術なら大丈夫』と思ったいたが、3・11を経験し、考えを変えた。円を百キロ、二百キロと広げる中に人が住めないとなったら、日本は成り立たない。十万、二十万人の避難だってすごく大変だが、三千万人となれば避難どころではない。そのリスクをカバーできる安全性は何か、と考えた。それは、原発に依存しないことだと」

■中部電力浜岡原発だけ、運転停止を要請したのはなぜか。
「浜岡は特に地震の可能性が高いとの研究結果が出ている。ほかの原発も3・11前と同じような基準でいいとは思わないが、浜岡は特別だと考えた」

■九州電力玄海原発一の稼働直前に安全検査導入を打ち出したのはなぜ。
「経産省原子力安全・保安院は、私の知らないところで、保安院だけで判断するという従来のやり方を取ろうとした。私は『それでは国民の理解は得られない』と言った。経産省はかなり意図的にやっていたと思う」

■核燃料サイクルや高速増殖炉もんじゅについての考えは。
「根本から再検討する段階に来ている。徹底した議論をやって結論を出すしかない」

●総括
■もう少し見届けたかったのでは?
「与えられた条件の中で、やるべきことはやった。特に原発事故については、かなり進んだと思っている。再生可能エネルギー特措法や原子力安全庁もできたし、そういう意味では3・11以降の課題の大きなところはスタートが切れた」

■福島県の人たちにはどんな気持ちを。
「本当に申し訳ないと思っている。『(汚染された廃棄物を一時保管する)中間貯蔵施設を福島県内に』との方針は、三月十一日に首相だったものの責任として言った」


東電に関しては、ボーナス支給問題や「原発作業員の給与搾取問題」など
あきれる事がぞくぞくと出てきています。
電力の自由化にはいろいろ問題もありますが、ここは考えなくてなりません。
とにかく電力会社には問題が多すぎます。これからも注視していきます。

広島を!福島を忘れない! 脱原発宣言! [東日本大震災]

  
平成23年8月6日(土)月歴7月7日 2010年日記
  
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この写真は3/11 Tsunami Photo ProjectのiPadよりお借りしました。
(この後問題なら、この写真は削除します。)

3/11 Tsunami Photo Project - 講談社
3/11 TSUNAMI PHOTO PROJECT - Apple
3/11 Tsunami Photo Project‏ - YouTube

写真は、佐々木康さんがお撮りになった一枚です。
キャプションにはこう書いてあります。

 避難指示地区の双葉町。原発近くの無人化した
 農家の牛舎のなかで牛が死んでいた。
 (福島第一原発から1km)

これが現実なのだ。
僕らは今までこの現実が分かっていながら、目をつぶってきたのだ。

今日はくしくも第66回目の原爆の日だ。
広島、長崎で原爆を体験していながら、日本はなぜ原発を選んだのか?!

言える事は官民一体の利権構造、癒着体質が原発を推進してきたのだ。
僕らはいま、今日この日に声だかに叫ばなくてはならない!

原発はいらない!!!

仮設住宅入居連絡 [東日本大震災]

  
平成23年6月22日(水)月歴5月21日 2010年日記
  
仕事をしていると、必ずや理不尽なことに出会う。
自分は正しい!と反論出来ず、言葉を呑む理不尽さ。

議員の先生方は、本当に特殊な人々だ。
自分のプライドだけが命だ。
もちろん選挙民、国民の事を考えているのだろう。
しかし、つまるところ自分のプライドだけしかないのだ。

今回の結末はどうなるだろ。心を整えよう。心穏かに。

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さて、先日TwitterでTaMAちゃんが福島の様子を
「屋根にブルーシートの家が見られます」と、書いてきた。
それなら上空から見てみたいとGoogle Earthで飛んでみた。

すると、見えない!ブルーシートどころか、何も見えない。
解像度があまりに、宮古と違いすぎる。
震災三ヶ月(So-net Blog)の写真と見比べて欲しい。

この宮古の写真は上空300mくらい。上の福島の写真は2km。
Googleが津波を全世界に伝えるべく解像度をあげてたのだ。

この被災地の現状を届けてくれたGoogleに感謝したい。

またまた話題が変わって(笑)
漁師の徒然なるブログの6月20日付けで
heiunさんが仮設住宅に入居出来る事になったと書いてあった。

僕は宮古のシーアリーナまでは行ったが、もちろんheiunさんに
会わずじまい。というか、コメントの多さにたじろぎ1つも書いてない。
だから、どこのどいつだ?!なのだが、heiunさんの入居は嬉しい。

彼は漁師だから、他の避難所の方々との生活時間の違いに
いままで本当に大変だったと思う。
heiunさん含め、みなさんをこれからも応援していきたい!

最後に、昨日nice!をくれたnoriho-さん、xml_xslさん、yuki-.-さん
ありがとうございます!(笑)

震災から変わったこと その2 [東日本大震災]

  
平成23年6月18日(土)月歴5月17日 2010年日記
  
iPadのアプリは一段落です。
翻訳ソフトは飲み会の時のお遊びソフトになりました。(笑)

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震災から変わったことの一つにラジオがNHKになりました。
今でもJ-WAVEなどFMも聞きますが、震災以降は余震や被災地、
そして原発のニュースを知りたくて、ずっとNHKを聞いてました。

ラジオビタミンは、その中でも今ではお気に入りです。
ラジオで料理番組なんて、最初はあり得ない!なんて思ってました。
だってラジオでレシピ聞いても、やはり映像がないとピンと来ない!

しかし、何回か聞いてるうちに、その料理を知りたくなって
忘れないように自分のPCへメールして「ラジビタ料理チェック」
HPを見ながら料理を作った事もありました。(日記2266)

ところが今は、iPadで聞きながらその料理のチェックが出来る!
あはは。超便利です。

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そして、昨日は「ときめきカルチャー」というコーナーで中江有里
角田光代の「ツリーハウス」という本を紹介していました。

聞くとなかなか良さそう。
パールバックの大地のような、三世代の年代記。
いま僕は、「NHKのおひさま」を見ているので、
戦時中の母たちの時代を見てみたい衝動に駆られたのです。

そこで、昨日はまた車中でiPadからAmazonに注文!
お昼にネットしたのに、もう昨日の夜には届きました!(笑)

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角田光代(twitter)さん。まだ読んだことありませんでした。
調べるとHPはなくtwitterしかやってません。そこでフォローします。(笑)
明日はまた、家にまたこもって本を読みます。読後また書きますね。

脱原発! 酪農家の自殺 [東日本大震災]

  
平成23年6月16日(木)月歴5月15日 2010年日記
  
今日のブログは日記とまったく同じものです。ご容赦下さい。
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6月11日は土曜日だったので、今週やっと4回目の募金をしました。
日記2240に書いた、卓球をやめた資金も半分を充てています。

さて6月14日付け、福島県相馬市の酪農家の自殺のニュースには
心が痛み「原発さえなければ」との書き置きに言葉がありません。

僕は今まで原発に関して、態度をはっきりさせていませんでした。
しかしこのニュースを読み、決めました。原発に反対します。

日本は地震国です。どんな科学が発達しても予測不能な大地震が
発生するのです。(日記2264)
どのように科学が発達しても、制御できない事が起こりうるのです。

それにも関わらず、イタリアの国民投票に「集団ヒステリー状態」と
発言した政治家がいます。
そして、こんな時期に「地下に原発を」という会合が開かれました。

国会議員とは、どれだけ国民感情と乖離しているかと思うのです。

脱原発は、今回の震災から得られた一番の教訓だと思います。
自然エネルギーへの転換は本当に大変です。しかし思えば必ず実現出来る。

自然エネルギーとエコライフへの変換は、18世紀にイギリスから始まった
産業革命がここで終焉し、新たな社会への第一歩なのだと思うのです。

僕らはその舵取りを担わされているのです。声を出して言おう!「脱原発!」

震災三ヶ月 [東日本大震災]

  
平成23年6月11日(土)月歴5月10日 2010年日記
  
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今日の日記からの続きなのだが、まず上の写真はiPadで見たGoogle Earth
写真は宮古上空、鍬ヶ崎の風景だ。(クリックして原寸表示)

Google EarthでもGoogle Mapでもいいのだが、被災した地域を見て欲しい。
東日本の全ての衛星写真は被災後の写真になっている。

上空から見ると悲惨な光景に心が痛むのだが、それでも
津波がどのように襲ったのかよく分かる。その事に驚く。

南は仙台から北は久慈まで、全ての海岸がやられている。
写真は僕が宮古に行った5月頃だと思う。矢印は観光船だ。
僕のPicasaの写真にある、あの船だ。

しかし、僕が行った頃には観光船はあったが、今は片付いている。
漁師の徒然なるブログにその様子が書いてある。

このように瓦礫は着々と撤去され、復興も着実に進んでいる。
しかしheiunさんはまだ避難所生活だし、まだまだなのだ。
僕らはその事を深く心に刻み、応援していきたいと思う。

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ところで、この写真はGoogle EarthをiPadで見ながら
iPadを斜めに傾けた写真だ。チルトすると画面も斜めになるのだ。
本当に空にいて大地を見てるように気になるのです。(笑)

震災から変わったこと [東日本大震災]

  
平成23年6月4日(土)月歴5月3日 2010年日記
  
政治の事を書くのは好きでないと昨日書いたばかりなのだが、
この政治の混迷を見ると、震災以上の悲しさがこみ上げてくる。

この政治の混迷で一番悲しむのは被災地の人たちだという事を
政治家たちは本当に分かっているのだろうか?

被災地ではまだ義援金が支給されてないと今日も新聞で読んだ。
首相を批判する前に、まず首相を助ける事をなぜしないのだ?

国会での、揚げ足取りをする答弁を聞いてると本当に悲しくなる。
なぜこうも、人は他人の批判を簡単にするのか。
人の批判は簡単だ。だが自分はどうなのだ?と思わないのか。

僕は映画などの評も悪い事は書きたくない。だから点数が甘い。
自分には合わないだけだと思うからだ。

料理やお酒などもそうだ。
まずいと思っても、自分には合わないだけと思うようにしている。
だから、Amazonなどで点数2など付けるの人の気持ちが知れない。

今日は愚痴から始まってしまった。こんな事書くはずでなかった。
人の批判をする前に、まず自分だ。反省をします。

さて、表題の「震災から変わったこと」です。

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牛乳の写真がありますが、うちでは牛乳を飲む習慣がありません。
でも牛乳を買います。インスタントコーヒーに入れるミルク用です。

震災以前は「明治おいしい牛乳」を買ってました。280円くらい?
それが震災直後の物不足でおいしい牛乳がなく、しかたく買いました。

グリコ 濃くておいしいミルク」これが美味しい!290円くらい?
ちょっと高いのですが、コーヒーのミルク代わりなので、ok!

明治おいしい牛乳より、美味しいと思います。たぶん(笑)
もし良かったら、皆さんも試してみて下さい。

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そして、「震災から変わったこと」朝ドラを見るようになった事です。
「震災から」ではないですね。始まったのが震災後なので。(笑)

余震がひどくて、携帯のワンセグでNHKニュースを見るようになり
その頃、ニュースの後にすぐ「おひさま」だったので、見たのです。

見てみると面白い!最近は、ニュースを見て、いったん消してわざわざ
12時45分にまた携帯ワンセグつけて見てます!(笑)

さて、今日は陽子さんの告白シーンかな?楽しみです~
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