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福島市探訪 その3= 御倉邸と福島城と戊辰戦争 = [旅行・探訪]

 
2019-08-28 No.4981(So-net 2693+2288) 2018年Blog WebDiary Since 2002



福島市探訪 その2=福島藩と戊辰戦争 福島市はなぜ県庁所在地になったか?=

明治時代初期に殖産興業政策で製糸業が発達して

資本の集約が起きて福島市が栄えた結果、県庁も置かれた。

昨日はそう書きましたが、補足説明があります。

福島県計 1,901,053
福島市 279,307
会津若松市 119,513
郡山市 324,109
いわき市 324,246
平成31年1月1日現在 PDFファイル

これは今年1月の人口ですが、ご覧のように
郡山市は、東北地方で仙台市に次ぐ経済規模を持ち

福島市と県庁所在地で争う都市でもあります。
人口で言えば、明治初期では

1)会津若松市、2)福島市の順番が
上図のように、人口では福島市は3番目です。そこで


郡山市と県庁

福島県や福島市の成立経緯や地理的に県の中間部に位置していることなどから、県庁を郡山に移転しようという動きが近代より現在に至るまで県内に根強く残っている。これは明治18年の県議会において賛成37、反対16の大差でいったんは可決され、当時の県令である三島通庸から上申書が内務省へ提出されたが、不明瞭な経過を経て却下されたことが尾を引いている。
県の北端である福島市に県庁及び国立大学、県立図書館、県立美術館、県立医大、附属病院などの公共施設が集中することから不便、不公平感を訴える県民の声が根強くあり、東日本大震災を経て現在でも会津地方及び県南・県中地方の自治体などから請願書が県へ提出されている。
郡山市 - Wikipedia

この話は一見すると福島市と郡山市の争いに見えますが
これは会津若松の戊辰戦争の名残、怨念を感じるのです。

幕末以前会津はこの地方一の藩でした。
それが戊辰戦争でずたずたになり、近隣他藩の後塵を拝し

薩長ばかりか近隣の他藩への怨念になったのではないかと
感じるのです。それが福島への県庁移転問題だと思うです。

150年経ても戊辰戦争の影響を感じるのです。



さあ、やっと御倉邸の紹介です。(笑)

御倉邸(旧日本銀行福島支店長役宅) - 福島市



さあ、入ってみます。



拝観無料です。



開館時間:午前10時~午後6時
休館日 :毎週火曜日



ここで目を奪われます!



お客を迎える嗜好です。



純和風建築で確か14部屋あると伺いました。



応接室です。



先ほどの松が見えた廊下です。

廊下だけで10何畳あると言ってました。



舟形の天井。



蔵が母屋と接して建てられてます。

両側が蔵の扉。



この方が邸内を案内してくれました。

蔵の床が深いと言う説明をしていただいてます。



庭園を見渡す和室です!



庭園の向こうは



阿武隈川です!



御倉邸は福島県庁あたりまで福島城趾に建てられて

福島城の東方と南方は阿武隈川や荒川が流れており

天然の要害として外堀の役割を果たしていたのです。



ガラスがドイツ製との説明です。



この和室はなんと格安で貸し出してるのです。

午前2時間300円(6畳)から600円(12畳)

食事は仕出し屋などの持ち込みで食べれますが

ただし、アルコール飲料は不可だそうです。(泣)

P8241624.JPG

春夏秋冬いいだろうな~

紅葉、そして冬景色は最高だろうな



見学を終わろうとしたら、ぜひ見てくださいと

人力車の車夫の待ち部屋を見せてくれました。

そこにあったのは



きれいな陶器の便器でした。(笑)



御倉邸の見学はこれで終わりです。

福島市の人もどれだけ見学に来てるのでしょう?(笑)



御倉邸の同じ敷地にある蔵は

旧米沢藩の米蔵で平成23年に復原されたそうです。



倉の先には展望デッキやお休み処としてつくられた

おぐら茶屋です。



福島城がどれだけ眺めが良かったかです。



河川敷を北に進みます。



何が釣れるんだろ?



ここもランチとしてチェックしてました。

杉妻会館 公式ホームページ



この庭園と阿武隈川を眺めながらランチが出来たみたい。

ちなみに、福島城は城内に杉妻(すぎのめ)寺があったことから
杉妻(すぎのめ)(杉目)城と呼ばれ、そこから杉妻会館となった。

と、思いましたが。
杉妻(すぎつま)会館だ。違った(笑)



あの橋(国道115号)まで歩こうと思ったけど

Googleマップに「福島城土塁」というのを見つけて

ここを左に県庁の方に土手をあがります。



Googleマップで見つけた「福島城 土塁跡」はこれでした。

タモリが大好きな貴重な土塁です!(笑)



県庁の前の通りです。

この左の官庁街に日本銀行福島支店をはじめ

大手の銀行、福島県福島警察署などがあります。



県庁前にある福島市立福島第一小学校

入るのが大変なんだろうか?(笑)



そしてこれが話題の福島県庁です!(笑)



福島城趾の二の丸あたりは紅葉山公園と呼ばれてます。

ちなみに、福島藩の藩主は本多家、堀田家、板倉家と
三氏に渡たりました。

その板倉氏は足利庄板倉が名字の由来となった土地で
足利尊氏の系譜です。



福島藩の板倉氏は足利庄から三河に流れた分家で

徳川の譜代大名でした。

板倉氏は1702年福島藩に入封したのですが

そこで三河国八ッ橋をまねた池を造ったのですね。



福島藩の初代藩主板倉重昌を祀った板倉神社です。



眺めがやっぱり良いです。

いまでは市民の憩いの場になってるのでしょうね。



さて、福島城はどのように消滅したのでしょう。

繰り返すと戊辰戦争で福島藩は奥羽越列藩同盟に加盟し
新政府軍と戦い、二本松城が落城すると藩主板倉勝己は

米沢藩へと逃れ、その後間もなく降伏。
板倉氏は三河に転封となり、福島藩は消滅しました。

明治1年(1868年)城跡に陸軍鎮台分営が設置され
城の建物のほとんどが破却されたのです。

板倉福島藩は大きな戦もせずに米沢に逃げ行ったので
福島城はさほど損害はなかったのではと思うのですが

それを破壊するのも、戊辰戦争の結果だと思います。
敵の城を壊滅する新政府の因縁だと思うのです。

そして

鎮台が置かれた事は福島市が県庁になった理由の1つですが
軍政改革は財政改革とともに、廃藩置県の一大改革だったのです。

城跡を見るにつけても、戊辰戦争がつい最近のことのようで
明治は遠いようで、近いのだなと思うのです。



明日はやっとランチの話です~(笑)






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