川瀬巴水をごぞんじですか?= さすが馬込文士村!= [勉強・遊び]
2019-10-05 No.5011(So-net 2723+2288) 2018年Blog WebDiary Since 2002
相変わらずキャッシュレス・消費者還元事業所認定が下りてません。
もう、半分あきらめです。
5%ポイント還元のA1のポスターを印刷して準備したのに・・・
そのA1のポスターは外に掲示するため
パウチするので近所の業者に頼むのです。
その業者にこの冊子が置いてあり、ただで頂いてきます。
いま見たら有料だった。パウチ家さん、ありがとうございます!(笑)
大田区の地域雑誌『おとなりさん』公式ホームページ
この冊子はなかなか良くて、Wikipediaにも載ってない
大田区界隈に関係した歴史的人物を知る事が出来るのです。
前回は新田義貞でした。
足利尊氏、新田義貞、楠木正成の3人は歴史は入り組んでて
どうしても分かりづらいのですが、よく特集されていて良かったのです。
そして写真の由利公正(ゆり きみまさ)です。
あまり歴史では出てこないのですが、坂本竜馬と関係しています。
まじま 目黒 居酒屋=暁に飲む酒のうまさ=IDEA's Gallery |
ちょうど居酒屋「まじま」で読んでたあたりでびっくりしました。
司馬遼太郎「竜馬がゆく」文庫本第3巻の最後p410あたりに登場します。
越前藩士光岡八郎で、竜馬が福井越前藩主松平春嶽に神戸海軍操練所の資金
五千両を無心に行くときに仲介役として会った人物です。
竜馬はそれ以前に京都でも会っていて、福井で会ったときは15時間も
日本の行く末を論じたらしく、龍馬の船中八策も光岡と共通してると言われ
その後五箇条の御誓文の起草し、太政官札(日本初の紙幣)を発行したり
東京府知事になったり、岩倉使節団に随行したなかなかの人物なのですが
歴史的にはあまり有名ではなく、僕もこの冊子であらためて知ったのです。
話はまだ「おとなりさん」です。
このように昭和の古い時代の写真が数多く掲載されていて
こんなだったのだ!と驚くのですが、次の写真です!
萩原朔太郎が撮った写真です。
朔太郎はこの近所に住んでいて
右の大谷石のブロックに朔太郎の碑があるのですが
朔太郎は写真が趣味で、妹二人と友人の三人を写したのですが
その場所はなんと、品鶴線(ひんかくせん)の上なのです!
この場所こそ、僕も品鶴線に入って蒸気機関車の轟音を線路際で聞いたり
釘を線路に置いて真っ平らにして遊んだ場所なのです!
ここは環七の進行方向が高円寺です。
上に新幹線が走り、下が品鶴線でいま湘南新宿ラインが走ってます。
朔太郎が写したのは、この左のたぬき山あたりだと思います。
馬込文士村へようこそ - 大田区山王、馬込にくらした文士、芸術家
さて、やっと今日の本題です。(笑)
この「おとなりさん」の10月号に川瀬巴水の特集があったのです。
馬込に住んでいた版画家です。
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文士村のサイトをリンクしましたが「おとなりさん」には
川瀬巴水が住んでいた住所など8ページにわたり詳しく出ていて
馬込第二小学校へ下ったあたりに住んでいたことが分かったのです。
うちのすぐ近所です!
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しかし、いま川瀬巴水の碑もなく
今朝もう一度確認しましたが洋館の手がかりはありません。
これはアッコさんが絵はがきを大田区郷土博物館で
買い求めていたものです。(クリックして大きく見れます)
なかなか良いでしょ?(笑)
左上から巴水の一番有名な(?)「馬込の月」の絵はがきセット外装
「千束池」(洗足池)、「洗足池乃残雪」「池上本門寺の塔」「池上乃雪」
「池上市之倉(夕陽)」「馬込の月」「池上本門寺乃塔」「池上本門寺」
著作権の問題もあると思って、あえて1枚の写真にしませんでしたが
Wikipediaに画像があるので、それを2点リンクします。
「東京十二題」より『深川上の橋』 (大正9年)
「東京二十景」より 『芝 増上寺』 (大正14年)
川瀬巴水
いかがだったでしょう。
家の近所に碑がないので、大田区に陳情してみるかな?(笑)
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