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終戦記念日に靖国神社に行く = パール判事顕彰碑 = [徒然に]

 
No.4963(So-net 2675+Diary 2288) 2019年Blog WebDiary Since 2002



終戦記念日に靖国神社に行く = 大村益次郎の銅像 =:IDEA's Gallery

あらためて大村益次郎の銅像をゆっくり見てから



8月15日(土) 6:27

靖国神社の本殿に向かいます。

おやっ!?



棒のような、刀剣のようなものを

調べられてるみたい。



参拝される方には長袖長ズボンの方と

僕のようにTシャツ半ズボンの人がいます。





そして、黒のスーツの方も目立ちます。



おやっ!?



参拝者の長い列です。

まだ開門から30分も経ってないのに。



右の方は報道の方です。

報道陣も多かったです。



ソーシャルディスタンスを少し保ってます。



本殿に向かう列から離れて、右に行くと能楽堂です。

岩倉具視らにより東京・芝公園に建てられものを移築した
由緒正しい能楽堂です。



能楽堂の脇にある木は桜の標本木です。

その桜の下で何やらお話を聞く人たちがいました。



遊就館に向かいます。



報道の方が各所にいます。



遊就館の前でラジオ体操をやってました。
本殿に並ぶ人たちとの対比が面白かったです。

遊就館は合祀された英霊の遺品や資料
零戦など戦争で使用された兵器など展示した博物館です。



僕の今回の目的は大村益次郎の銅像を見るのと

パール判事の顕彰碑に参拝することでした。

P8151289.JPG

パール判事の事を

どれだけの日本人は知っているのだろう



手を合わせました。


「事後法で裁くことはできないとし全員無罪とした」
(判決文より長い1235ページの「意見書」(通称「パール判決書」)

「被告の行為は政府の機構の運用としてなしたとした上で、各被告は
 各起訴全て無罪と決定されなければならない」
「司法裁判所は政治目的を達成するものであってはならない」
「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」とコメントを残している。

そしてパール判事は東京裁判で、南京大虐殺に関しても
「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」
「検察の提示した十数万から数十万もの証言や証拠に強い疑問を呈した。」
「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領した
 ある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は
 圧倒的であり、犯罪行為その物は存在したと判断している。」
「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。
 彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が
 相当数残虐を犯したことを暗示した」として、弁護側の主張を受け入れている。

靖国神社 ―子供たちに何を伝えるべきか―:IDEA's Gallery 2012-08-19

パール判事の事はもっと知られなくてはならないと思うのです。

そう言えば、昨日映画「東京裁判」のコメントをやっと書きました。


8月1日にWOWOWで初放映されたものを3日がかりで見ました。
いま映画館でやってます。4時間半は映画館では辛いです。

心境は複雑です。
東郷英樹をはじめ多くて人の真摯な態度が立派でした。

やはり国と国との戦争を裁くのは無理があります。
スペインのインカ虐殺。
アメリカのインディアン討伐。
イギリス、フランス、ドイツの植民地支配。
どれ一つ裁かれましたか?

そして東京大空襲、いや全国の民間人への爆撃。
広島市、長崎への原爆に至っては何をか言わんやです。

それを裁こうとする彼ら。

しかし良くできたドキュメンタリーでした。
wikipediaでしか知らなかった東京裁判を映像とともに
詳しい解説を聞きながら見る事が出来たのは感謝しかないです。

作品は東京裁判を中心に第二次世界大戦を同時に描いていきます。
ある時は時間を戻して被告の罪状を照らし合わせていきます。

ある時はヨーロッパ戦線がいかに日本の作戦に影響を与えたか。
今では忘れ去られてるロシアの蛮行。

どれも歴史としてしっかり止めなくてはならない事です。

最後にやっとパール判事の事が出てきます。
もっと時間を費して描いて欲しかったです。

見て良かったです。
やはり戦時においての判断は一通りではないです。
それを裁こうとするのは無理があります。
東京裁判のIDEAいであの映画レビュー・感想・評価 Filmarks映画

やはりパール判事はもっと世の中に知らしめるべきです。



遊就館を離れて参集殿です。

参集殿は本殿につながる玄関みたいな建物のようです。

左の報道陣は閣僚が参拝に来るのを待っているようです。



ここまで来たのは初めて!



茶室や庭園があるのです。




行雲亭-現在は裏千家茶道教室に使われているが靖国刀と呼ばれる軍刀を造っていた。1933年(昭和8年)、民間篤志家の資金を元に、日本刀の復活と将校用軍刀の需要に応えるため、刀剣界と陸軍が協力して靖国神社境内に「日本刀鍛錬会」が設立された。靖国鑪が再開され、良質の日本刀を作刀し、陸軍将校に供給した。軍の受命に依り、鍛錬会刀匠名の初字には靖国の「靖」の名が与えられた。終戦迄、約8,100振りの日本刀が作刀され、当時は「九段刀」とも呼ばれていた。
靖国神社 - Wikipedia






相撲場と呼ばれ春の例大祭に全力士が奉納相撲を行う場所です。



日本庭園があるとは知りませんでした。



神池庭園です。

明治初期に造られ1999年に整備・復元作業が行われました。







小さいけれど、なかなか良い庭園でした。

秋になったらまた来てみたいです。



さきほど桜の木の下で輪になってた方々です。

靖国神社の歴史でも話されてたのでしょうか。



結局僕はこの列には並ばず



ここで一礼して帰ってきました。



行くときも帰るときも鳥居の下で一礼して。

靖国神社は日本の歴史を知るのにも良かったです。

秋になったらまた来てみます。







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