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靖国神社 ―子供たちに何を伝えるべきか― [意見・反省・研究]

  
平成24年8月19日(日)月歴7月2日 2011年Blog
  
これから書こうとしている事は、もしかしたら敵愾心をあおるような
内容に思えるかも知れません。しかし、一切そのような事はなく
そのために今日書きたい結論を先に書きます。

1)8月15日を祝日にして、国民は第二次世界大戦(以下=大戦)を
  改めて見直し、全ての国民が犠牲者に哀悼の意を込めて祈る。
2)学校教育において大戦で何があったのかをより詳しく学ばせて
  二度とこのような戦争を起こさない、起こさせないかを学ぶ。
3)2の中において間違った歴史観を正し、日本の失った自尊心を
  回復させ、世界に出て活躍する青少年を育成する。

さて、僕が靖国神社に行こうと思ったのは、今年初めに根津界隈を
散策して「はん亭」が関東大震災に耐えた建物と知った時からです。
谷中・根津・湯島(Blog)
旧岩崎邸と東京大空襲(Blog)

その中で「根津には空襲がなかったのだろうか? 岩崎邸も!?」
そう思い、東京大空襲を今更ながらいろいろ調べたのです。
東京大空襲

なんとむごい話でしょう。いくら戦争中とは言え非戦闘員の民間人を
10万人以上もの人を殺戮していいものでしょうか?

そして東京大空襲を調べる中で、根津一対が空襲を受けなかったのは
東京大学があったので、文化財を守るためではなかったと知りました。

そして、では同じ文化財のある京都はどうなのだろう?と京都の空襲も
調べました。日本本土空襲 wikipedia

それによると、京都は大都市にもかかわらず大空襲がなかったのは
文化財を守るためでなく、原爆を落とす目標都市になっていたため
その原爆効果測定のために空襲してなかったのです。

なんと非人道的なことでしょう。この話から原爆投下をも調べました。
日本への原子爆弾投下 wikipedia

東京大空襲も広島・長崎原爆投下も、筆舌に耐えません。
だからなのか、僕はここまで生きてきて東京大空襲も、いや原爆にも
ある意味、第三者的に感じてきたのです。

しかし調べれば調べるほどこの無惨な殺戮に憤りを感じてきたのです。

大空襲は本当に終戦に必要だったのでしょうか?
東京大空襲を初めとする日本焦土化作戦を立案したカーチス・ルメイは
「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」
米軍にとっての空襲 wikipedia

そして、原爆投下は終戦に必要だったのでしょうか?
「原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないものだった」
 アイゼンハワー 米第34代大統領 連合国軍総司令官

「日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。
 日本は降伏する用意があることも知っていた。だがトルーマン大統領は
 それを知っていながら無視した。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは
 なんの意味を持たなかった。私はこのような戦い方を訓練されていないし
 女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない!」
 ウイリアム・ダニエル・リーヒ 米海軍提督・大統領主席補佐官
アメリカ側の原爆投下に対するコメント wikipedia

大空襲も原爆も必要なかったのです。そればかりか原爆は単なる核実験の
意味しか持たなかったのです。なんという悲しい話でしょうか。

そこで僕は次に東京裁判と東条英機について調べました。

Hideki_Tojo.jpg

この写真を見て多くの人は良い思いはないと思います。僕のそうでした。
ところで実は、母に僕が靖国神社に行くと話すると、嫌な顔をしました。

そこで聞くと「東条英機などA級戦犯が靖国神社に合祀されているから」
「私たちをあれだけ苦しめたのはあの戦犯たちだ」と言うのです。

そこで僕の疑いの気持ちがまたむくむくとわいてきたのです。
本当に東条英機は悪者だったのだろうか?

まずは東京裁判です。これは僕もニュースなどで見た記憶があるだけで
詳しく知りませんでした。日本の悪い人が正しく裁かれたと思ったのです。
極東国際軍事裁判 wikipedia

ところが、
「東京裁判に対する肯定論では法と正義によっり裁判を行ったという意味で
 文明の裁きとも呼ばれる一方、否定論は事後法の遡及的適用であったこと、
 裁く側はすべて戦勝国で、戦勝国側の行為はすべて不問だったことから、
 "勝者の裁き"とも呼ばれる」を読むと、これは変だぞと思ったのです。

そして東京裁判において判事を務めたインドのラダ・パール判事は判決に際し
「事後法で裁くことはできないとし全員無罪とした」
(判決文より長い1235ページの「意見書」(通称「パール判決書」)

「被告の行為は政府の機構の運用としてなしたとした上で、各被告は
 各起訴全て無罪と決定されなければならない」
「司法裁判所は政治目的を達成するものであってはならない」
「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」とコメントを残している。

そしてパール判事は東京裁判で、南京大虐殺に関しても
「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」
「検察の提示した十数万から数十万もの証言や証拠に強い疑問を呈した。」
「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領した
 ある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は
 圧倒的であり、犯罪行為その物は存在したと判断している。」
「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。
 彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が
 相当数残虐を犯したことを暗示した」として、弁護側の主張を受け入れている。

こうした背景を知った上で東条英機を調べてみたのです。
東條英機 wikipedia

連合国は東京裁判でハワイ攻撃は東條の指示だったと、東條を処刑しますが
「東條が日本時間1941年12月8日の真珠湾攻撃の実行を指示したわけではない。
 開戦直前の東條は首相(兼陸軍大臣)ではあっても、統帥部に容喙する権限は
 持たなかった。戦争指導者の権限を掌握したのは、参謀総長を兼任してからだ」

そして東條は首相任命の際、天皇から対米戦争回避に力を尽くすよう直接指示され
それまで開戦派的姿勢をあらため、外相に対米協調派の東郷茂徳を据えたのです。

僕の東条英機の人物像が変わってきました。しかしそうは言ってもこの大戦の
責任者であることは免れません。死をもっって償うのは当然だと思うのですが、
それをA級戦犯と呼ぶには、どうしても躊躇う気持ちになってきたのです。

少し話しを戻しますが、原爆投下に関してwikipediaで以下の言葉があります。
「アメリカは日本を挑発しなければ決して真珠湾を攻撃されることはなかっただろう」
―ハーバート・フーバー 第31代アメリカ合衆国大統領

真珠湾攻撃陰謀説 wikipedia

しかし日本は朝鮮を侵略し、中国を侵略しました。
日本は欧米に負けまいと欧米の真似をしてアジアで膨張しすぎたと思います。
世界の歴史は侵略の歴史そのものです。
しかし、当時の日本の軍部には正しい判断が出来なかったのだと思うのです。

IMG_2947.JPG

IMG_2948.JPG

さて、そろそろ話を靖国神社に戻します。この2枚の写真を見てください。
伊号潜水艦に乗られた方でしょうか。そのお孫さんでしょうか。

僕は靖国神社に行って良かったと思います。
いまでもA級戦犯問題がありますが、A級戦犯が靖国神社に合祀されて
いようがいまいが、靖国神社にお参りする事は間違えてないと思います。
(そもそも戦犯の定義があいまいなのですから)
(東條を戦犯というならば……)
(ちなみに靖国神社には何もありません。ただ名簿があるだけです)
(A級戦犯のお骨は全て粉砕され海に捨てられた)

しかし靖国神社はやはり軍人、軍属の方が行くところだと思いました。
僕は来年は行きません。終戦記念日は家で平和を願い手を合わせます。

そして、子供たちには、いまここに書いた事を伝えたいと思います。
東京大空襲、原爆の悲惨さ。大戦で何千万人の方が亡くなったこと。
第二次世界大戦等の戦争犠牲者数

父や母たちは悲惨の思い出のために多くを語ってきませんでした。
だからこそ、僕らが語らなければならないのだと思います。

平和がなおさら大事なこと。そして、
日本人として誇りを失わず、平和への道を築かなければならないこと。

まとりのない文章でしたが、最後までお読み下りありがとうございました。
ご意見などなんなりとお寄せください。


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song4u

ぼくは戦争を知らない世代ですが、戦争経験者に直接話が聞けた世代です。
しかし後10年もすれば、戦争経験者に直接話を聞くこともほとんど不可能に
なってしまうでしょう。だとすると、ぼくたちが戦争経験者の代行者とならねば
ならない立場ですよね。

しかしぼくたちも、事細かに多くを聞いているわけではありませんし、話し手も
全体をバランス良く話してくれているわけでもないと思います。
この種の問題は、極めて重要だと思うからこそ、安易なアプローチをしては
いけないと考えがちです。そして、そう考えるとハードルはどんどん高くなる。
非常に難しい問題のひとつだという思いが、ぼくにはあります。

誠に中途半端なリアクションですが、今日のところはこの辺でSTOPしたいと
思います。ぼくも考えが全然まとまっていませんので。
by song4u (2012-08-19 21:07) 

いであ

song4uさん、おはようございます。
本当にコメントありがとうございます。

僕は幸い母と話をする事が出来ました。戦争の事を話したのは初めてです。
その事事態がsong4uさんがおっしゃるように、この問題の難しさだと思います。

日本人は海外に出ると自分の宗教の事をしっかりと答えられない事が多いです。
あなた方は仏教徒ではないのですか?と。
この戦争の事もそうです。
はっきり言って自分自身の国のこと、歴史、宗教。それら全てに勉強不足なのです。

まずは少なくてもいいので、まずは勉強して自分の意見を持つことだと思います。

僕も遅まきながら少し勉強しました。これで少しは外国の人と意見を戦わす事が出来ます。

今週は社員の子供(2年生と6年生)から社会科の教科書を借りてきます。
いまの学校がどうしているのか?分かったらまたBlogに書きたいと思います。

by いであ (2012-08-20 07:24) 

paula

私は結構父から戦争の話を聞いて育ったと思います。
父は予科練に行き、海軍で特攻隊でした。
幸いにも終戦となり命は助かりましたが、父の脛には機関銃の弾がいくつか入っていました。
その傷跡を見せ、その時の様子なども何度も聞きました。
改めて思い起こすとさまざまな角度での話を聞いた気がします。
子供の頃のことだし、正直「またその話~」という感じで聞いていました。
でも今になってみると、父の話しはあまりに悲惨で「フィクション」のようであり、フィクションであって欲しいとさえ思うのです。

先日も友人と戦争の話をしました。
彼女は、お母さまから聞いた話として、「東京大空襲と後、彼女のお母さまは母親(祖母)に手をつながれ、死体の上を歩いて逃げた。道いっぱいに死体の山で死体の上を歩く以外に方法がなかった。」その辛さを聞いていたそうです。
彼女は泣きながら話していました。
私たちは戦争を知りませんが、今になってなんと身近に思うことでしょう。
たった67年しか経っていないのです。

そして正しく語り継ぐ難しさも改めて感じます。
by paula (2012-08-20 08:17) 

いであ

paulaさんのお父さんは予科練でしたね。
優秀だったのですね。
僕も本当にpaulaさんのお父さんのお話を聞いておきたかったです。
今度paulaさんが聞いたお父さんのお話をぜひお聞かせください。

東京大空襲は、写真や話を聞くだけで、悲惨そのものですね。
大空襲、原爆投下、この話は僕らが必ず言い伝えなければならない話です。
近いうちに江東区北砂にある東京大空襲の資料館は行ってきます。
そして僕は広島に何度か通過していますが、滞在したことがなく
ぜひ原爆資料館にも必ず行きたいと思います。

by いであ (2012-08-20 16:38) 

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