No.4894(So-net 2606+Diary 2288)
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コロナ禍でどこにも行けず、写真を撮りに行くことも出来ないので
IDEA's Afghan Tour を So-net にそのまま移してみました。
グレーの囲み記事は1972年当時書いた日記を書き写したもので
水色は2003年9月から10月まで Web Diary で書いたものです。
いよいよアンジュマンでのキャンプ生活が始まります。
Googleマップでアンジュマンを示しましたが、最大に拡大すると
大きな集落が見えます。そのような大きな集落は通りませんでした。
もしかしたら、Googleマップで示したアンジュマンよりも手前の
小さな湖にテントを張ったのかも知れません。
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さっそくミキが釣りに行く
前のばん、雨が降って非常に寒かったヨ。
土地のガキがいっぱいくる。
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1972年7月26日(水) キャンプ第1日目
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アンジュマンは標高3500mくらいにある小さな湖です。
ワハン回廊へ抜ける通り道になっていて、そこかしこにアフガニスタンの遊牧民たちが、ヒツジや馬の糞の固めて作った粗末な家に暮らしています。
点在すると言っても、何キロおきに1つまた1つと、僕らの感覚からすると何もないと言ってもおかしくないほどなのです。
ところがすぐに情報が伝わって、その遊牧民の子供たちが僕らのキャンプを見に来たのです。
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8月4日(金)(写真撮影日)
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シャワーを沐浴をした。
今日このごろ、ペースが一定なので何をやったか思い出すのがやっと。
ミキとギャビンが釣り。
EIJIとタケシが山登り。
エリックとA1がひつじ探し。
僕とひらくがテント守り。
ヒツジを明日食うことに決定
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7月27日(木) キャンプ第2日目 日記の日付
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写真は8月4日のものです。
キャンプ当初の写真に、キャンプ地をお見せするものがなかったので、後日の写真をもってきました。
このように湖のすぐ近くにテントを2張りし、キャンプが始まりました。
キャラバンで知り合ったフランス人二人、ギャビンとエリックもキャンプに合流しました。
二日目にしてすでに退屈が始まってますね。
うん? 明日はヒツジを食べるのですか?
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朝は、はよからチョコレートパン
10時ころから、ヒツジkillだ
12時ころからFireにかけて
くった、くったヒツジちゃん
全部写真に取りました。
今日の食事は全部パンでしたよ。
あーぁ、もっと考えなくては。パーになるぞ。パーに
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7月28日(金) キャンプ第3日目
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これが衝撃映像です。そうでもない?(笑)
ヒツジは通訳のA1とエリックが遊牧民から買ってきました。
いくらだったかなー。忘れましたが、非常に安かったのは確かです。
ヒツジを写真のようにA1と遊牧民が首を落とし、その後の丸裸にする作業は僕らでやりました。
内臓はA1が「これはあなた方には食べれない。私が食べます」とほとんど持っていって自分で煮込んで食べてました。
いま考えると、あの内臓が一番美味しいかったのでは?
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ギャビン、ミキ、タケシ、EIJI 手前の茶色のが、ヒツジちゃん
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7月28日(金) キャンプ第3日目
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そして、内臓を取った肉をショットガンの銃身を掃除する鉄棒に刺し、丸焼きにしました。
すると、ここでまた学習する事が起きました。
僕らはそれまで肉を食べる時によく焼いて食べていたのですが、一緒になったフランス人二人はまだ火が通るか通らない生焼けの肉をどんどん食べるのです。
これには参りました。僕らがじっくり焼いて食べようと思うと、フランス人は端から生焼け肉を食べていくのです。食べ物の恨みで、一時は険悪な雰囲気に。(ウソです。笑)
とにかく僕はこの件以来、肉はレアーで食べるようになりました。
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7月28日(金) キャンプ第3日目
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写真は、食後にショットガン(散弾銃)で遊ぶ僕です。
散弾銃の弾は、直径2cm長さ7cmほどの筒状の玉を一発銃身に入れて打ちます。
その弾の中に、5mmほどの細かい鉛の粒が入っていて、それが散乱して当たるのです。ですから射撃に慣れてない人でもそこそこ的に当たります。
僕らは板に人形の絵を書いて、当てる競争をしました。
まさかそれが役立つとは知らず……
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