No.4893(So-net 2605+Diary 2288)
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コロナ禍でどこにも行けず、写真を撮りに行くことも出来ないので
IDEA's Afghan Tour を So-net にそのまま移してみました。
グレーの囲み記事は1972年当時書いた日記を書き写したもので
水色は2003年9月から10月まで Web Diary で書いたものです。
早朝カブールをランドローバーで出発し、その日のうちに
ダシュトゥリ・ワート村に到着します。
その場所なのですが、いまはGoogleマップで見れますが
当時はその手段がなくて、場所が不確かなのです。
Googleマップでアンジュマンを示しましたが、最大に拡大すると
大きな集落が見えます。そのような大きな集落は通りませんでした。
そして、その手前に湖がいくつか見えます。
もしかしたら、Googleマップで示したアンジュマンよりも手前の
小さな湖にテントを張ったのかも知れません。
ダシュトゥリ・ワート村 通訳のA1と話すミキ
7月21日(金)(写真撮影日)
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ダシュトゥリ・ワートは馬の村。昨日ランドローバーは40$+1400Af.で少々割高についた。
朝8時頃起床。昨日の初めてのCookingを思い出し、朝食。
9時馬方を集め、10時出発。
12時、ミキと馬方がもめる。
4時、Camping
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1972年7月22日(土)日記の日付
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地図を見て頂きたいのですが、カブールの北にチャリカールがあります。そこから右側一帯に海抜4000mを越すヒンドゥークシ山脈が横たわります。
そしてその先のタジキスタンの下に、象の鼻のように突き出たところがあります。そこはワハン回廊と呼ばれロシアの南下政策のために出来た人為的な国境地帯で、タジキスタン(パミール高原)、中国(新疆ウイグル自治区)の秘境へ抜ける道があるのです。
我々はその中国国境へ抜ける途中の、アンジュマンというところに行こうとしているのです。
我々が前日着いたダシュトゥリワートは、チャリカールから100kmほど行ったところ(オレンジの地図のバグランの「ン」の下あたり)にあり、ここから先は道が険しく、馬と徒歩でしか行けないのです。
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ダシュトゥリ・ワート村
7月21日(金)(写真撮影日)
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ダシュトゥリワートで一泊した我らは、馬方を雇いテントなどの荷物をランドローバーから馬に載せ換えアンジュマンに向けて出発しました。
馬の数は6頭くらいだったと思います。右手にアンジュマンにつながる川を見ながら隊列をなし、まさにキャラバンを組んで一路アンジュマンを目指すのです。
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キャラバン4日目 アンジュマンpassへ
7月25日(火)(写真撮影日)
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6時起床、朝食の後8時まで出発準備完了 but 馬方動かず。馬方と我々の対決。
9時出発。
10時半、馬方と我々の対立。1時間半。
12時、1人1800Af.でアンジュマン出発に決定。(1日300Af.はAfghanTouristで決定していた)
2時、昼食。多少おそいのである。
5時、馬方1日1800で元気になり、よく働く。
Camping
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7月23日(日)日記の日付
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アンジュマンへは7/22~25日と4日間かかって到着します。
写真と日記の日付が合いません。日記を読んで思い出したのですが、写真は担当を決め僕が最終日の25日の当番のようでした。
25日の写真しかなくて残念です。途中初日は川がすぐ側を流れ綺麗な景色があり、二日目、三日目と高度を上げるに従い、遙か下に川を見ながらガレキの道を進む景色に変わっていきます。
この写真は、このあたりからアンジュマンpass(=峠)に向けて最後の登りです。写真は午前中だと思います。天気もよくまだ快適です。
そして日記ですが、馬方との値段の交渉は最終日まで続きます。アフガンとはそういう国なのだと、思い知らされます。
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キャラバン4日目 アンジュマンpassへ
7月25日(火)(写真撮影日)
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7時半起床、9時出発。
だんだん高度を上げていく。
馬のローテーションで今日は1日目のEIJIの馬。非常に快適である。
午後からは非常に良かった…。
山が急なので、馬から下りて歩いたのである。ゲリを伴って、非常につらいと言うか面白かったのである。
5時Camping. 同じ場にFrance 2人がCampのためテントを貸し合同する。
非常に寒い。高度のせいだろう。
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7月24日(月)日記の日付
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4日間のキャラバンで、それまで乗馬の経験は皆無でしたが、馬に乗ることを覚えました。ただ馬によって良い馬と駄馬があって、ダメな馬にあたるとそれは歩かないのです。グズって前に進まないのです。あれは乗り手を見てたのでしょうか。
さて日記に「France 2人」とありますが、3日目の夕方、少し水深のある川を渡ろうと浅瀬を探していたら、フランス男二人と出会いました。
彼らは僕らが馬で来た場所まで、徒歩で来ていたのです。その装備は大きなリュック1つで、我々のキャラバンとは大違いの軽装です。
そして僕らが馬で渡った川を、フランス人は靴を脱いで素足で渡り終えたとこだったのです。
アンジュマンでもう一組のヨーロッパ人に会うのですが、彼らも軽装で、その事が僕の旅行の考え方を根本から変えたのです。
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僕とタケシ
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8時出発。
いよいよアンジュマンに向けて出発である。今日は僕が撮影班。
11時、pass(=峠)のまえである。我々は昼食はなし。
3時間休みの後、いよいよpassへ出発。
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7月25日(火)キャラバン4日目
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やっと写真が日記に追いつきました。
キャラバン最終日で、念願のアンジュマンに向けて出発です。
午前中は写真のように日ざしもあり、快適でした。
ところが高度を上げるのしたがい、本当に寒くなってくるのです。
回りには雪もあり、風も出てきてます。
疲れでも出てくるのですが、夕方には湖に着かなくてはならないので、休憩もそこそこに先を急ぎます。
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ミキとタケシ
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7月25日(火)キャラバン4日目
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同じ昼休憩でのミキとタケシですが、見て欲しいのはミキの脇の下の拳銃です。(ホント!バカでしょ。)
出発前にカブールでミキが買ったものです。拳銃の他にショットガンも買いました。
ミキは、ここアフガニスタンに何度も来ていて事情に詳しく、僕らのガイド役でした。拳銃の購入も普通では買えないのですが、バザールの一見拳銃などない店で、交渉すると裏へ手招きされ拳銃を見せてもらい買ったのです。
僕らは興味はありましたが、半分冷ややかで彼がキャラバンの道中にトカゲを見つけては打っているのを眺めていました。
僕も拳銃を打ちました。アフガンのトカゲは全長が50cmもあり、ワニの子供かと思うほど本当にデカいんです。でも、当たらない!
3発ほど打ちましたが「玉がムダだ」とそれっきり打たせてもらえませんでした。
そんなわけで、ミキの道楽と思っていたのですが、それがそうではなかったのです。話はまたその時に書きます。
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ついにアンジュマンpass!
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3時半、だらだらのU字谷を登りつめ、ついにアンジュマンpassに出た!
本当に寒い。日本では暑いSUMMERだといいうのに…雪があるのです。
passからの下りは歩き。Lakeまでの途中、ずーっと歩き。つらかった~
5時、Lake到着。
馬方と1800でまたもめる。本当にアフガンはPoorなのだ。
Bass Camp
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7月25日(火)キャラバン4日目
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やっと峠に到着しました!
あまりいい写真ではないのでお見せしたくなかったのですが、強風で顔が歪んで誰の顔か分かりませんよね。
(25日のフィルムは全部保存状態が悪いです。ゴミの修正もしないでアップします)
そう言えば、風呂にもここ数日入ってなくて髪もボサボサ。風呂はこれから先、何週間も入らないのです。
さて、この地点で標高3500mと聞いてました。そう。富士山より高いのです。遠くに念願のアンジュマンの湖が見えます。
あともう少し。
ところが、近いようでここからが時間がかかり、湖に着いたのは5時頃で、あたりは山に囲まれているのでほとんど暗かったのです。
この日は強行軍で寒さと疲労でくたくただったので、到着してから食事の準備などする気力も起きなかったのですが、ここでタケシの一声がかかります。
「食べないと体がもたない!」とみんなを激励して、食事の準備を始めたのです。彼は山岳部に所属した事があり、山の厳しさを身をもって体験していたのです。あの時のタケシはカッコ良かったです。
僕はまた一つ学びました。
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