SSブログ

イサム・ノグチ展 = 塊がすき!= [食べ・飲み]

 
2021-07-29 No.5202(So-net 2914+2288) 2020年Blog WebDiary Since 2002



11:00

居酒屋の調査を終えて上野です。(笑)



東京都美術館の入り口で検温と消毒をしてます。



本当に久しぶりに来ました。

イサム・ノグチ 発見の道|東京都美術館



いつものオブジェです。

収蔵品|東京都美術館



そもそもイサム・ノグチ展に来たのは

彫刻、それも石の塊(かたまり)が好きだからです。



美大では立体デザインを専攻したのも塊が好きだから。

彫刻科でも良かったのだけど、そこまで根性なかったから。(泣笑)



ヘンリー・ムーア [ 二つの部分からなる横たわる像 ] - Wikipedia

ヘンリー・ムーアも好きです。

さあ、イサム・ノグチはどんな展示会なのでしょう?!



すると、撮影がOKでした。ただ、3つ展示室があって

1つの展示室だけは撮影禁止でした。その理由はあとで説明します。



第一展示室の入り口です。

第1章:彫刻の宇宙



イサム・ノグチと言うと、ちょうちんの照明器具です。


Amazon:イサムノグチ ISAMU NOGUCHI AKARI 45D

我が家でもこの AKARI シリーズを長く使ってました。

そして!


これを見に来たのです!

黒い太陽 1967-69年 花崗岩 国立国際美術館



そもそも、イサム・ノグチとは?です。(笑)


イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、造園家、作庭家、インテリアデザイナー、舞台芸術家。日系アメリカ人。
1904年、日本人詩人の野口米次郎とアメリカ人作家のレオニー・ギルモアとの間に生まれる。1907年、ノグチが3歳の時に母レオニーと来日し、米次郎と同居する。そして米次郎は武田まつ子と結婚し、ノグチは野口勇として森村学園付属幼稚園に通園する。1年後に神奈川県茅ヶ崎市に転居して地元の小学校へ転入し、その年に母レオニーがノグチにとっては異父妹となるアイリスを出産する。1913年からは母の姓であるイサム・ギルモアを名乗り、横浜市のセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジへ転入し、茅ヶ崎の自宅の新築設計を手伝うなど数々の建築作品に携わった。
ノグチの胸に母が植えつけた願望、「アーティストになりたい」というノグチのために、ラムリーはスタンフォード在住の彫刻家ガットスン・ボーグラムに助手としてノグチを預けた。
1923年に、ボークラムとノグチとは馬が合わず、ノグチはニューヨークへ移りコロンビア大学(医学部準備過程)に入学し、日本から帰米してきた母と暮らすようになる。そこでノグチは医学部に在籍しつつ、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通い、入学してすぐに初の個展を開催した。
第二次世界大戦の勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際には自らアリゾナ州の日系人強制収容所に志願拘留された。
終戦後、ノグチは1947年にジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・制作するなど、インテリア・デザインの作品に手を染める。
1950年に再来日し銀座三越で個展を開き、その時に日本では著名な建築家である丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知己になる。1年後にまた来日し、リーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受け、また当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり (Akari)」シリーズのデザインを開始。
同年、山口淑子(李香蘭)と結婚する(1955年に離婚)。鎌倉の北大路魯山人に陶芸を学び、素焼きの作品制作に没頭する。この頃に魯山人の邸宅敷地内にアトリエ兼住まいも構えた。
1961年からはアメリカに戻り、ニューヨーク州のロングアイランドシティにアトリエを構え、精力的な活動をし始める。まずはアメリカの企業IBM本部に2つの庭園を設計し、幼少の頃住んでいた神奈川県にある横浜のこどもの国で遊園地の設計が実際の計画に移された。
1970年には大阪で行われた日本万国博覧会の依頼で噴水作品を設計。
1988年に勲三等瑞宝章を受勲し、北海道札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組んだ。これは公園全体を一つの彫刻に見立てた「最大」の作品であったが、ノグチはその完成を見ることなく同年12月30日、心不全によりニューヨーク大学病院で84歳の生涯を閉じた。
1年後にはノグチの遺志を継いだ和泉正敏が制作した遺作『タイム・アンド・スペース』が完成し、香川県の新高松空港に設置された。
1999年制作の本拠地であった高松市牟礼町にイサム・ノグチ庭園美術館が開館した。
イサム・ノグチ - Wikipedia




クロノス 1947年 (鋳造1986年) ブロンズ 静岡県立美術館



化身 1947年 (鋳造1972年) ブロンズ イサム・ノグチ庭園美術館



これもいいですね!(笑)

幼年時代 1971年 花崗岩 滋賀県立美術館



通霊の石 1962年 (鋳造1963年) ブロンズ・アルミ イサム・ノグチ財団



小品ながらこれも好きな作品です。

ちなみに、僕の好きな作品は庭園に飾るような大きなもの。
美術館内で見るのは、作品にかわいそうな気がします。(笑)

細胞有糸分裂 1962年 (鋳造1965年) ブロンズ ノグチ財団



これも、これを見るためにわざわざ来た作品。

ヴォイド 1971年 (鋳造1980年) ブロンズ 和歌山県立近代美術館



無題 1988年頃 花崗岩 イサム・ノグチ財団







無題 1988年頃 花崗岩 イサム・ノグチ財団



第二展示室に来ました。

第2章:かろみの世界



あかり

あかりのシリーズです。



これも有名な作品ですが、石の塊と違うんだな~(笑)

プレイスカルプチェア 1965~80年頃(製作 2021年) 鋼鉄 茨城放送









もちろん全部に作品名あるんだけど

興味ないからメモらなかった。(笑)





第二展示室には24、5点が展示されてますが

どうも僕にはよく分からない。(笑)

秘密 1982~83年 溶融亜鉛メッキ鋼板 イサム・ノグチ財団・庭園美術館



第二展示室のから出たところにあった石の説明です。
ここから第三展示室の「第3章:石の庭」になるのですが、撮影禁止でした。

聞いてみたら、第三展示室の作品は香川県牟礼町にある
イサム・ノグチ庭園美術館に展示してある作品で、牟礼では撮影禁止なので

それにならって今回の展示も撮影禁止になったとの事でした。
分かったような分からない説明です。



イサム・ノグチ庭園美術館/The Isamu Noguchi Garden Museum Japan

香川県か、行ってみたいけど遠いな~(笑)

IMG_8494.JPG

イサム・ノグチ展は8月29日(日)までやってます。

興味のある方は、ぜひ行ってみてください。(笑)

イサム・ノグチ 発見の道|東京都美術館







nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。