No.4221(So-net 1933+ Diary 2288)
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ワインカフェ 大森本店 = ここは屋根裏!僕の隠れ家!の続きのような話です。
店長とお話するうち
「お客様はどちらからお越しになられたのですか?」と
地元の話になりました。
僕はそのなかで「大井7丁目の樹海」の話をしました。
大井7丁目は大森駅の北側、大田区山王1丁目に隣接した地区で
品川区の南端になります。
品川区大井7丁目は道が入りくんでいて、一度や二度通っただけでは
まったく方向を失ってしまい迷うのです。
僕もまだ完全に理解していません。
地元の人はここを「
大井7丁目の樹海」と呼ぶのです。(めちゃ極一部(笑))
そんな話から店長と「大森の有名人」の話になったのです。
やっぱり一番に出てくるのは「片桐はいり」
地元も地元、山王小学校卒業でいまでも大森在住で
僕もたまに見かけます。
(あのお顔なので遠くからも認識する(笑))
片桐はいり - Wikipedia
そこで僕は
片桐はいりより金子國義の方が有名でしょと言うと
店長は知らないというのです。
そこでiPadで検索して画像をお見せすると少し分かったようですが…
でも、不確かです。
金子國義 Style of Painting
そして、なんと!
昨日は金子さんの命日だったのです!
金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 2015年3月16日)は、日本の画家。
埼玉県蕨市出身。織物業を営む裕福な家庭の四人兄弟の末っ子として生まれた。蕨第一国民学校(現・蕨市立北小学校)入学。図画工作に優れた子供だった[2]。バレエ公演を観て憧れ、バレエを習う。ミッションスクールの聖学院高等学校を経て、1959年、日本大学藝術学部入学。歌舞伎舞台美術家の長坂元弘に師事し、舞台美術を経験する。大学卒業後、グラフィックデザイン会社に入社するも3か月で退社し、フリーとなる。1966年、『O嬢の物語』の翻訳を行っていた澁澤龍彦の依頼で同作の挿絵を手がける。翌1967年、澁澤の紹介により銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開き画壇デビューする。世紀末的・デカダンスな雰囲気を漂わせる妖艶な女性の絵を得意とする。活動・表現領域は幅広いが、一般には「富士見ロマン文庫」(富士見書房)、『ユリイカ』をはじめとする多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がけたことで知られた。
コシノジュンコとは、古くからの親交があった。
L'Arc〜en〜Cielのhydeからのラヴ・コールで、彼の好きなコウモリをモチーフにした浴衣をデザインしたり、ソロ・アルバム「FAITH」のジャケットを手掛ける他、プライベートでも呑みに行くなどの交流もあった。
2015年3月16日午後、虚血性心不全のため東京都品川区の自宅で死去。78歳没。
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金子國義 - Wikipedia
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なんという奇遇でしょ。
ワインカフェで話題にした翌日が命日だったなんて。
金子國義さんは大森在住の著名な画家でいらっしゃいます。
彼は20年ほど前に、僕の大学時代の友人を介して紹介され、ご自宅におよばれしたことがあります。ご自宅は最近HNKでも特集されましたが、光を巧みにつかったそれは素敵なお宅でした。それまで彼の作品をCM等で見たことがあっても詳しくは存じ上げなかったのですが、それ以来ファンになりました。ここに紹介したものは、1番目は「ポールとヴィルジニー」(油絵 727x606 1982 美術出版社「青空」より)と、2・3番目は版画集「CUISINE」で、これはわが家にある装幀も素晴らしいB4版 8枚組みの版画集で、その中の2点をお見せしました。
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IDEA's gallery |
こんな素晴らしい画家さんが大森にいらしたのに
いまでもアトリエは
品川区大井7丁目にあるのに
大森に住んでる方で金子國義の事を知らない人が多いことが悲しいです。
回顧展をぜひ大森でやってもらいたいです。
多くの人に金子さんの素晴らしい絵を見て欲しいです。
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