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1969 僕は何をしていたんだろう―安田講堂事件― [旅行・探訪]

  
平成25年5月29日(水)月歴4月20日 2012年Blog
  
安田講堂を訪ねるにあたり「僕は何をしていたんだろう」
とあの当時のことを思ったのです。

KozoさんもEishiroくんももちろん生まれてなかったので
知ってはいても記憶にあるのはニュース映像などでです。

ところが僕もあまり鮮烈な印象がないのに驚いたのです。
「僕は何をしていたんだろう」
Kozoさんに「記憶ないけどたぶんスキー場にいたと思う」
そんな答えしか出来なかったのです。

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そこで調べました。
東大安田講堂事件(Wikipedia)
1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件。

1969年は高校生でした。そう、まったくの子供でした。
僕は翌年の1970年に初めて恋らしい恋をしたのです。

もちろん、高校生の時にもガールフレンドはいましたが
恋というには若すぎました。恋ではなかったのです。

そして5月に免許を取り、オヤジの車で静岡まで友だちと
ドライブをしてその帰りに渋谷の公園通りで友達と一緒に
女の子をナンパしてお茶をして別れました。そこからです。

慶応文学部を受けようとしてた溌剌とした高校生でした。
ところが彼女には彼氏がいたので、初めから叶わない恋。

しかし僕は恋をして失恋しました。そして家出をしたのです。
友達は東西線の神楽坂に一人で暮らしていたので、その
神楽坂まで逃げ込むように転がり込み…しかしその家出も
友達の密告であえなく頓挫しました。

そこから僕は子供から大人に近づいたような気がします。



世間では燃えるような学生運動が盛んでした。東大紛争
とくに安田講堂事件をきっかけに学生運動が過激になり
そして1972年のあさま山荘事件(wiki)を最後に終焉して
いったような気がします。

IMG_0388.JPG

1969年、僕は何をしていたんだろう?
この安田講堂の傷跡を見てぼんやり眺めていたのです。

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あれから何十年たったのでしょう。
こうして、やっと安田講堂を目の前に見ることができました。

見てみて驚いたのは、あのニュース映像の火炎瓶、放水車
これらが騒然としてた安田講堂が思いのほか小さいのです。

歴史がこの建物を大きなものとして、記憶させていたのだと
思いました。そしてあの紛争当時に思いを走らせたのです。
1969、僕は何をしていたんだろう。
そんな思いが心に残ったまま、安田講堂をあとにしました。

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そして僕らはてくてく歩いて東大から芸大に向かいました。
僕らの目的は「五芸祭2013
ところが五芸祭は当日の午前中で終わっていたのです。

IMG_0391.JPG

僕らは上野まで歩いて、飲み会をして帰ってきました。
テーマは「学生運動!」うそです(笑)「男と女のつきあい」

「男と女のつきあい」これはまた書くことあると思います。
Kozoさん、Eishiroさん、ありがとう!また飲みましょう!


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コメント 6

paula

1969年は9歳でした。
当時の記憶としては全くありません。
でも浅間山荘事件はテレビで見ていたのをはっきり覚えています。

芸大・・芸大コンプレックスから抜け出るのにどれだけかかったでしょう。
・・いえ、もしかしたら今でもそうかもしれません。
大学を卒業した年、芸大の専攻科を受験しようと考えました。
先生にも相談しました。
その年父が亡くなりました。
貧乏な我が家で、母は働き詰めで私を音大に行かせてくれました。
もうこれ以上経済的にも負担をかけるわけにいかないと諦めました。
音楽は、学費以外にお金がかかります。

でもそれは違うと今ははっきり言えます。
私は逃げたのです。
当時、自分の実力を見越して無理だということを感じていたのです。
何も頑張らず挑戦もしないまま。

私の唯一の後悔は専攻科を受験しなかった事です。
99%不合格だったでしょう~でも100%ではなかったはずです。
挑戦していれば、後悔もコンプレックスもなかったでしょう。

水野先生にお会いできたことで私はこれで良かったと思えますが、唯一の後悔は残るのです。

私の初恋は19歳でしたね(笑)
by paula (2013-05-29 08:20) 

eishiro

ideaさんkozoさんありがとうございました。
これまで皆で色々な楽しみをしてきましたが
こんなにアカデミックなことは初めてですね(笑)

by eishiro (2013-05-29 08:46) 

いであ

paulaさん、ありがとうございます。
人に歴史ありですね。
始めて聞いたお話です。
誰でもずっと悔やみ続ける事があります。
心の奥底にしまっておきたい事。しかし、年とともにそれも和らぎます。
だから年取る事は素晴らしいのだと思います。
悔いても悔いきれない事がセピア色の思い出に変わります。

19才で初恋!同じですね。
でも男の19と、女の19は違いますね。
男はほんとうに子供です。少なくとも5才年下じゃないと太刀打ちできない。
これも、思い出です。(笑)

by いであ (2013-05-29 11:27) 

いであ

Eishiroさん、ありがとう!
また楽しい思い出が一つ出来ましたね。
picasaには思い出がいっぱいです。
来週はまた飲めますね!楽しみです!(笑)
by いであ (2013-05-29 11:29) 

song4u

1969年。
25をひいて、昭和44年ですね。
4月以降は高1ですが、1月ということなら、ぼくはまだ中3です。
その頃、何を考え、何をしていたのかなあ?

少なくとも遠い東京の、安田講堂の「や」の字も無い毎日であったであろうことは
ほぼ間違いないと思われますが、さりとて、その頃何に心を奪われていたのかを
思い出すことは、今となっては非常に難しいです。
ただ、高校時代に目の当たりにした学生運動など大学生周辺の数々の出来事は、
ぼくから「大学は学ぶところ」という意識をあっさりと奪い去ったといっても過言では
ありません。

思えば、大学に入学した頃までは、順風満帆の人生だったように思います。
しかし、それがいとも簡単に崩壊した大学時代でした。(身から出た錆ですが)
折からのオイルショックに、卒業を意図的に1年遅らせたものの、最低の成績では
まったく畑違いの就職先しかありませんでした。
しかし今となっては、誰よりも幸運なサラリーマン生活だった気がしております。
分からないものですよね、人生って。
by song4u (2013-05-29 21:59) 

いであ

song4uさん、ありがとうございます!
そうか、1969年は中学生から高校1年生なのですね。
僕も高校1年のころを明確に思い出します。
しかし、song4uさんの話も「人に歴史あり」ですね。
もっと詳しくお聞きしたいです。
paulaさんにも書きましたが、誰でもずっと思い出したくない
後悔し続ける事があります。
ずっと心の奥底にしまっておきたい事。
でもそれもいつか、年とともにセピア色の思い出に変わるのだと思います。
song4uさんのお話を直に聞きたいですね。(笑)

by いであ (2013-05-30 07:52) 

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