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ツールを見よう 日本のスポーツ黎明期 [スポーツ]

  
平成23年7月27日(水)月歴6月27日 2010年日記
  
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paulaさんの昨日のブログに対するコメントを読んで、
ふと感じた。何か温度差が違う。
paulaさんはYouTubeを見ても、さほど興奮していない。(笑)

あの栗村さん初めみんなが本当に興奮している様子の実況や、
僕らが涙して感動がどうも伝わっていないように感じたのだ。
(paulaさん、違っていたらごめんなさい。)

僕がツール・ド・フランスを見たのは前にも書いたが、20数年前
NHKのダイジェストでグレッグ・レモンの映像を見てからだ。

山岳ステージ(当時はそんな言葉も知らなかった)アルプスを
息を絶え絶えに登ってゆく選手に驚いた。それが最初だ。

それから毎年NHKの特集を探したが、毎年あったわけではない。
それがスカパーが、それもハイビジョンで見れるようになった。

しかし、どうだろう?
近所の子供に去年のワールドカップの開催国と優勝国を聞いてたら
聞いた半分の子供は、南アフリカ!、スペイン!と叫ぶだろう。

断っておくが、ワールドカップはサッカーしかない。
いま多くあるスポーツのワールドカップはサッカーの成功の真似だ。
だからワールドカップと言えば、サッカーなのだ。

そこで近所の子供達だ。彼らに今年のツール総合優勝したのは誰?
こう聞いても「ツール?」なに?ときょとんするのがオチだ。
100人に聞いても、答えは同じだろう。

しかし思い起こせば50年前の日本サッカーも似たようなものだった。
僕がゴールらしきものを置いて初めてボールを蹴ったのは小学校6年生。

それもサッカーボールではなく、ただのゴムボールだ。
いや、そのボール蹴りがサッカーという名前と知ったのはもっと後だ。

それから4年後、メキシコオリンピックの釜本の活躍で日本中がやっと
サッカーという名前を知るようなった年、僕は高校のサッカー部に入った。

そして、その年に画期的な事が始まった。
三菱ダイヤモンドサッカーが1968年に始まったのだ。



主に今のイングランド・プレミアリーグの放送を金子勝彦アナウンサー
(この金子さんの実況は秀逸だった!)(日記608)そして!
解説に日本サッカー協会の元会長の岡野俊一郎さんという放送だ!

その実況も解説も良かったのだが、それ以前にその映像に驚いたのだ。
どんなにきわどいタッチへのボールも、切らないでつなぐ選手。
ボールへ、選手に全速力で走るその姿。そして何より強烈なシュート!

当時サッカーに関わる全ての人がこの三菱ダイヤモンドサッカーで育ったのだ。

そしてもう一つ特筆しなくてはならない事がある。
1966年に開催されたワールドカップ、イングランド大会の記録映画「GOAL」が
同じ1968年に映画館で上映されたのだ。僕は新宿の映画館まで出かけていった。



当時はワールドカップの映像を見るの三菱ダイヤモンドサッカーくらいで
もちろん生放送なんてない。その映像を映画館にわざわざ見に行ったのだ。

このスクリーンで僕は初めてペレを見た。
そして、あの疑惑のゴールを大きな映像で見たのだ。

かくして、いまや日本がワールドカップに出場するのは当たり前になったが
日本中の人がサッカーを知らない状況から50年かかってここまで来たのだ。

さて長くなったが、話をツール・ド・フランスに戻そう。
2009年は日本の自転車ロードレース界において画期的な年だったのだろう。

だろうと書くのは、僕も自転車ロードレースをさほど深く見てこなかった。
だから栗村さん初め自転車ロードレースに関わってきた人にとって、あの別府が
ゴールシーン前でもがくシーンがどれほどの事だったのかと、推測するしかない。

ツール・ド・フランスの100年の歴史で、日本人が登場したのはつい最近だ。
それがやっとここできたのかという万感の思いがあったのだと、思うのだ。

しかし、日本人の最高位は新城のステージ5位だ。
そして日本の子供達において「ツール?なに?」状態には変わりはない。

もっともっと自転車ロードレースが日本でも知名度があがり、誰もが今年の
ツール総合優勝者の名前を知るようになれば、日本人のステージ優勝も!!!
夢でなくなる日が来るのだと思う。それまでに何年かかるのだろうか?(笑)

ぜひぜひ、多くの方にツール・ド・フランスを見て欲しいと思うのです。

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