No.4898(So-net 2610+Diary 2288)
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コロナ禍でどこにも行けず、写真を撮りに行くことも出来ないので
IDEA's Afghan Tour を So-net にそのまま移してみました。
グレーの囲み記事は1972年当時書いた日記を書き写したもので
水色は2003年9月から10月まで Web Diary で書いたものです。
画質は悪いですが、写真はどれも拡大して見ることが出来ます。
キャンプから戻った僕らは5人ばらばらになり、僕とEIJIは
石仏で有名なバーミアンに到着し、アフガン国内を旅行します。
それにしても、Googleマップは素晴らしいです。
いままで、パンジャオ村がどこにあったのか不確かだったのが
こうして、しっかり場所が分かるのです!(笑)
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26日の朝、BAND-AMIR(バンデアミール)へ出発。小形トラックで1人60Af
フランス人6名、ドイツ人6名、イギリス人1名、日本人2名、現地人2名。
BAND-AMIRは本当に素晴らしい。途中の砂ばくの中にとつ然のコバルトブルー!
そのLakeわきに建つ石造りの家。まるでおとぎ話なのだ。
そこで会った女の子。ベルギーでダンスをやっていた。
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1972年8月26日(土)BAMIAN → BAND-AMIR
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バーミアンに1泊2日滞在しました。
バーミアンは辺境なのですが観光地で、多くの外国人が来てました。
そして、すぐバンデアミールに向かいます。
バンデアミールはそれは綺麗な湖です。割りと大きな湖で、一部手前がタナ田状になっていて、その景色が最高なのです。
海外にあまり知られていない絶景の一つだと思います。
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26日はBAND-AMIRに一晩した。
ベルギーの女の子と彼氏。ドイツ人で船乗りでハシシな人。それに法律家のイギリス人。
みんないいヤツだ。
27日の午後1時ころ、バンデアミールからYakaoLangに行く途中にある先生の村にやってきた。
Lakeから2時間くらい歩いたところにある村で、アフガンの地方村の典型だ。
ここでYakaolangに行く車を待つことにする。
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8月27日(日)BAND-AMIR → 村
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バンデアミールのレストランと英語で書かれた店です。
この脇にテントがあり、宿泊出来ました。
左から、アフガンの先生、EIJI、ドイツ人、ベルギーの女の子。
そして27日の午後、
バンデアミールから徒歩で先生の村まで行きました。
途中は荒涼とした草原か砂ばくか、道があるかないかの道を、方向もどちらに向かっているのか、僕らには到底迷いそうな道でした。
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10時、食事をすませて日向ぼっこをしながらこれを書いている。
ここは本当に静かな場所。まったく平和で幸せというものが、訪れたものに悟らせる。そんな静かな村だ。
夕べは先生が、アフガンの問題点をいろいろ我々に聞かせてくれた。
いまアフガンの挨拶を見ていて思い出したけど、日本にも信州の僕の田舎で、うちのお婆ちゃんと向こうの家の人が、頭を畳につけて長々と挨拶をするのだ。なんだか長ければ長いほど、頭が低くけば低いほど
良いとされてるところなど、アフガンと同じじゃないかと思ったヨ。村の人って皆んな同じじゃないかな?
例えば、こうやって旅行にきてるのは、ほとんど都会の生活を知っている。or.している都会派人間だろ。
だからFranceだろうが、England、Germany、日本人など関係なく話が出来る。(これには教育の問題があるけれど)しかしアフガンの人はほとんどと言っていいほど村派人間だと思うんだ。長々と挨拶して‥‥
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8月28日(月) 村
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これが先生の学校だったと思います。
屋根の上にいるのが先生で、下にいるのがEIJIです。
ここに一晩お世話になりました。
後ろに見える丘のような風景。
四方を見渡してもこんな感じの風景しかないのです。
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10時半頃、YakaoLang行きのトラックが通る。先生と一緒に乗る。
延々とちいさな植物が点在する砂ばくを行く。
Ch(判読不明)を2つばかり行くと、下に川の流れる多少大きな村が見える。YakaoLangである。
12時半着。先生と一緒にチャイハナで昼食。
先生は今来たトラックで村に帰っていってしまった。
今はEIJIと二人だけPanjawへ行くトラックを探さなくてはならない。
一つ付け加えておくと、BAND-AMIR発YakaoLang行きのバスはある事はある。しかし我々は1時発のバスを見逃したのだ。そのバスが定期ではなく、いつ出るのか分からないのだ。
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8月28日(月)村 → YakaoLang
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我々は当初バンデアミール発YakaoLang行きのバスに乗るつもりだったようだ。
それがバスを逃したので、先生がYakaoLangまでの道案内を買って出て、ついでに先生の村で一晩やっかいになったのだと思う。
先生は我々をYakaoLangまで案内すると、そのまま帰ってしまいました。バーミアンからの4日間でしたが、非常に印象深い出会いでした。
なおYakaoLangの位置は、カブール・ヘラートの中央道との中間あたりではないかと思います。
写真はYakaoLangに向かう途中、休憩したチャイハナ。
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午後3時
1人50AfでYakaoLang→Panjaw行きの塩積みトラックを見つけ出発。
YakaoLangでは「Panjaw~」と呼び込みをやっているので分かるであろう。
町を出るとすぐ山にかかる。すごい土ぼこりだ。まるでスタインベックの「怒りの葡萄」を思い起こす。
2つ目の大きな峠に5時頃さしかかる。トラックの調子が悪いため、皆トラックから降り峠を登った。
6時頃日は沈み、7時半ころ星空になった。
トラックは8時過ぎにPanjawに着く。
チャイハナは2軒ほど。露天に近いので8月末と言っても寒さは相当で用意がいる。
PanjawはYakaoLangかBAND-AMIRと比べて交通量は多く、車を見つけるのはeasyの様だ。
僕はこれからチャグチャラン行きのトラックを見つける。
EIJIとはここでお別れだ。
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年8月28日(水)YakaoLang → Panjaw
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先生と別れた僕らは、中央道に戻るべくYakaoLangでPanjaw行きの便を探します。
アフガンでもこの辺は辺鄙なので、トラックが重要な交通手段です。
トラックの荷駄に乗り込み、タイヤから巻き上げる土埃で顔はドロドロになります。ターバンで顔を覆うのはこんなためでもあるのです。
3時に出発して8時過ぎにPanjawに着きました。
5時間以上乗ったことになります。
そして泊まる場所は、屋外と同然のチャイハナです。
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8:30
EIJIが6時のトラックでKABULに向かった。
※Panjawについて
地方とKABULの中継地点。塩が主なもので、KABULに向かう車は割りと多い。Panjawは他の村同様、川に面しているが、川の向かいにセスナのとまる飛行場付きのヨーロッパ風の石造りの家がある。
BAND-AMIRを飛んでいたセスナはここのものらしい。ここからBAMIAN、HERATへは2~3日の車待ちが必要。チャクチャラン、HERATの間はよりdifficultだと現地の人が言っている。
現在の持ち金:920Af.+3ドル=1160Af.
10日にKABUL着として、1日=100Af.として13日間1300Af.が必要となる。相当の節約が必要。
ナンとチャイだけの生活になろう。
12:15
変な青年(失礼かな?)が現れた。18だっていうのにやけに英語が達者で、何となくしゃあしゃあしている。
「君は人と話し合うのが好きじゃないのか?」と聞かれた。まったく変な話だ。早くHERATまで行きたい。
よく計算してみると(その青年が聞いてくれたのだが)Floorでマットレスで夕べは20Af.取られた。
今晩は15Af.にする。
久しぶりに疲労を感じている。それが以前の頭だけグルグル回る、あの状態なのだ。
明日は30日(水)明日の夜か朝にはCAGHCARAN(チャグチャラン)に着いてるだろう。
CAGHCARANからHERATまで2日と見て、2日にHERAT‥‥13日にはKABULに着きたいものだ。
この村の生活もAFGHAN調にやっていれば時間は過ぎていく。例の青年と3日前からここにいるフランス人とガンとRug(敷物?)の取り引きを見てきた。その青年を見ていると田山花袋(たやま・かたい)の「いなか教師」を思い出す。‥‥志を抱いて一生懸命勉強し、しかし世の波に乗れず、というより都会のスピードについて行けず、いつか片田舎で一生を終えていく青年。――何が人間にとって幸せなんだろうか? ここの村人もいつか年をとり、世が動いていくのを眺め、土に帰っていく。人間というのはしょせん哀れなものだ。ものを考えずに自然の中に自分を見いだし、そして土に帰っていくこの村の人々。これほど自然の摂理に合った、何が幸せであるかという事と関係のない、良い生き方があるだろうか?!
しかしこういう事を書いている自分も、もうそこには帰れない悲しさ‥‥これがこの世に与えられた自分の運命であろう。自分の生命は、両親の本能と愛情によって与えられた。その愛情を過多に感じ、そして自分の運命の哀れさを感じ‥‥
村人とトランプを興じたあと、9時に寝る。
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8月29日(火) Panjaw
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7月6日に日本を出てから2ヶ月間ずっと一緒だった仲間、EIJIともここでお別れしました。
これからは本当に一人旅です。
いま気がついたのですが、一人になった途端に日記の書く量が増えます。
面白いです。
さて、Panjawに着きました。
はたしてチャグチャラン、そしてヘラートに着けるのでしょうか?
(いまカブール、ヘラート間の距離を測ると、817キロでした。)
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