No.4891(So-net 2603+Diary 2288)
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コロナ禍でどこにも行けず、写真を撮りに行くことも出来ないので
IDEA's Afghan Tour を So-netにそのまま移してみました。
グレーの囲み記事は1972年当時書いた日記を書き写したもので
水色は2003年9月から10月まで Web Diary で書いたものです。
カブール市内 薪を割る少年
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1972年7月11日(火)
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前日7/13からしばらく日記が飛ぶので、写真だけアップします。
写真はホテル前の朝の風景です。
この地域は外人相手のホテルやレストラン、コーラや外国製のタバコを売っている雑貨や(日本のアメリカン・ファーマシーのような店)など数多くあり、カブールの中でも小綺麗な場所でした。
そして忘れてはならないのは、流れてくる音楽です。
インドやイランの音楽を思い出してもらうと近いと思います。あの独特の音楽がどこからか流れてて、アフガニスタンの朝が始まるのです。
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カブール市内 シギス中庭(レストラン)
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1972年7月14日(金)
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そしてこれがレストラン「シギス」の中庭です。
ここは日記にもすでに何回か書かれていますが、外人、特にヨーロッパからの旅行者のたまり場でした。
その当時は中近東の旅行がヨーロッパを中心に流行っていて、陸路イスタンブールを経由して、カブールまで主に学生たちが来るのです。ボロのワーゲンバス(まん丸い形のWマークのバン)や、フランスのドゥシボ(トタンで作ったような小型車)など、それは気楽に国内旅行の雰囲気で来るのです。その点飛行機を乗り継いでやっと来た僕らと、旅行のとらえ方が大きく違う事に驚かされるのです。
シギスでの思い出はビートルズの「アメージンググレイス」
いまではゴスペルの曲として有名で、先日の9・11でもよく流れたました。でもその当時はビートルズのオリジナルだと勘違いするほど、ここシギスでよく聞いてました。
写真では分かりませんが、手前にオープンカフェ風の椅子があり、チェスの左側の室内にテーブル席がありました。そこでは、当然のようにハシシの香りが漂い、異国にありながら「シギス」はヨーロッパだったのです。
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カブールのホテル 右がタケシ。シャワーを浴びました。
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体の調子がなんとか元にもどってきたのである。
昨日、今日と出発の準備で、今日はOLDバザールまで出かけて行ったのであります。
Translator(注=通訳)はあまり使えずボツに決定。残り色々手を打ってみる。
今思ってみると、なぜ体を悪くしたか? それはホテルにいて何かと自分を働かせる、緊張させるモノがなかったタメだと思うのです。ですから今日など正に快調ですヨ。
出発してから12日目。そろそろ2週間ともなると体がむずむずしてくるのがわかる。一時も早く山に入りたいものなのです。
もっとFreeになりたい。
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7月15日(土)
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写真は僕らがアンジュマンに出発する7月21日まで借りていたホテルです。
5人で2部屋を借りてました。
部屋の大きさはいまの狭いビジネスホテルとほとんど同じです。ベッドに小さなサイドボードがあって、それでいっぱいの大きさです。
ベッドも、写真の椅子と同じ作りでクッションはありません。
そして写真はタケシがシャワーを浴びたところですが、確か水しか出なかったと思います。
ちなみにタケシは現在、多摩美術大学の教授になっていました。旅行の後に何度か会いましたが、ここ10数年会ってないです。
このサイトを作った事を切っ掛けに連絡を取ってみようと思います。
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カブール市内
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7月16日(日)
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写真は日記によく出てくる「KUME氏」の近所の風景です。
カブールでも外国人が住む高級住宅街で、閑静な町並みです。
KUME氏は青年海外協力隊の方で、お子様はまだおられずご夫婦でカブールにお住まいの方でした。
日本では一技術者なのですが、カブールでは高級住宅街の一軒家にメイドと住み、快適な暮らしをしてらっしゃいました。
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カブールの日本大使館前にて
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今日一日手紙を書いた。オキヨから手紙が見て、ゆきのからも来た。だから僕も書いた。
今日は一日何をしたかというと何もしなかった。午後に通訳さん(大学の人)と会う予定が、人が来ない。
あーぁ、ここに来て12日目だぞ。あーぁ、早くどうにかしたいよ。
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7月18日(火)
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いよいよアンジュマンに出発する直前で、出発の日程がまだ決まらず僕の気持ちの苛立ちが日記に出ています。
若さってこういう事なんだなと、いま読み返すと思うのです。
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