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静嘉堂文庫 = 念願の曜変天目を見る。岩崎弥太郎の功績 = [観劇・芸術]

 
2019-11-18 No.5046(So-net 2758+2288) 2018年Blog WebDiary Since 2002



11月15日(金) 9:33

念願の曜変天目を見るため、二子玉川からバスに乗ります。



静嘉堂文庫の入口です。



バスはここで下りて、道沿いを少しに行くと入口があります。



静嘉堂文庫へあがるアプローチがなぜか旧岩崎邸に似てます。




旧岩崎邸と東京大空襲:IDEA's Gallery 2012-06-20




静嘉堂文庫まで上がってきました。

やっぱり旧岩崎邸に似てます。



それもそのはずです!


静嘉堂は、岩﨑彌之助(1851~1908 彌太郎の弟、三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(1879~1945 三菱第四代社長)の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵しています。
静嘉堂の名称は中国の古典『詩経』の大雅、既酔編の「籩豆静嘉」(へんとうせいか)の句から採った彌之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整うとの意味です。
静嘉堂文庫美術館 | 静嘉堂について(沿革)

静嘉堂文庫は岩崎弥太郎が興した三菱の財を後世に残すために設立されたのです。



この建物が静嘉堂文庫でこの奥に書庫があり、
20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)が保管されてます。

そして、一般公開するばかりか
調査研究目的の研究者に閲覧させているのです。



静嘉堂文庫の左にあるのが、美術品の倉庫です。

国宝7点、重要文化財54点を含む約6500点の美術品は
常設ではなく展覧会として定期的に公開されてるのです。

さてここで、岩崎弥太郎について少しふれておきます。


天保5年(1835年)、土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮の地下浪人(下級武士のその下の身分)岩崎弥次郎の長男として生まれる。
安政2年(1855年)、父親が酒席での庄屋との喧嘩により投獄された事を知り帰国。奉行所に訴えたが、証人は庄屋の味方をした、「不正を罷り通すがが奉行所かよ」と訴え、壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と大書したため投獄された。この時、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁となった
安政5年(1858年)、出獄後、村を追放されるも当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、後藤象二郎らの知遇を得る
慶応元年(1865年)、弥太郎は農事に精を出し、官有林払下げ許可が下りた
慶応3年(1867年)、土佐藩は開成館長崎商会を窓口に、欧米商人から船舶や武器を輸入したり、木材並びに強心剤・防腐剤として使用されていた樟脳、鰹節など藩物産を販売しており、吉田東洋の甥の後藤象二郎が弥太郎に主任を命じた。坂本龍馬が脱藩の罪を許されて亀山社中が海援隊として土佐藩の外郭機関となると、藩命を受け隊の残務整理を担当した。
明治元年(1868年)、弥太郎は後藤象二郎に転勤を頼み開成館大阪出張所(大阪商会)に移る。
明治2年(1869年)、明治政府が藩営事業を禁止しようとしたため、土佐藩の林有造が海運業私商社として土佐開成社、後の九十九商会を立ち上げた。弥太郎は事業監督を担当した。
九十九商会は、藩船3隻払下げを受け貨客運航、鴻池や銭屋に抵当として抑えられていた藩屋敷を買い戻した。当時、外国船は日本の国内航路にまで進出しており、三井、鴻池、小野組などに設立させた日本国郵便蒸汽船会社に、諸藩から取り上げた蒸気船を与え、九十九商会は高知—神戸航路、東京—大阪間の輸送を担った。
明治6年(1873年)、三菱商会へ社名変更した。弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立されて紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知した弥太郎は、10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり今でいうインサイダー取引であった。
明治10年(1877年)、西南戦争で、政府の徴用に応じて三菱は社船38隻を軍事輸送に注ぎ、政府軍7万、弾薬、食糧を円滑に輸送した。鎮圧後、三菱は金一封や銀杯が下賜され、戦費総額4156万円のうち三菱の御用船運航収入総額は299万円、当期利益は93万円(東京市年度予算超)となり、莫大な利益をあげた。三菱は、無償供与された船舶30隻の代金として120万円を上納したのち、買い増して所有船61隻となり、日本の汽船総数の73%を占めた。
明治11年(1878年)、弥太郎は高田藩榊原家江戸屋敷(旧岩崎邸庭園)、深川清澄の屋敷(清澄庭園)、駒込の庭園(六義園)を購入。
岩崎弥太郎とその弟・岩崎弥之助(2代目総帥)から始まる三菱は、3代目総帥・岩崎久弥は弥太郎の長男であり、4代目総帥の岩崎小弥太は弥之助の長男、すなわち弥太郎の甥にあたる。
岩崎弥太郎 - Wikipedia

こうして岩崎弥太郎の弟、岩﨑彌之助とその子供岩﨑小彌太が膨大な
東洋のコレクションを収集していったのです。

そして、その事が日本の貴重な文化財の海外流失を防ぎ
今日、僕らが国宝などを鑑賞出来るもとになったのだと思います。



これが静嘉堂文庫の美術館です。



やっと念願の曜変天目に出会えます。



一般は¥1000



僕が初めて曜変天目を知ったのはテレビで見てからです。
それ以来、一度は見てみたいと思っていたのです。

曜変天目はここにもあるように、日本には3つしかなく
いや世界にも日本にしかなく、その1つが静嘉堂文庫にあるのです。


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静嘉堂文庫美術館 | 曜変天目(「稲葉天目」)

曜変天目が11月に静嘉堂文庫で展示されるのを
夏のころ知って、いまかいまかと待っていたのです。

これが曜変天目です。
思ったより小さい。

AS20190219042.jpg

手にとって見ると、このようだと思います。

借りてきた画像です。



国宝 曜変天目茶碗 南宋12-13世紀 藤田美術館所蔵

国宝 曜変天目 南宋12-13世紀 大徳寺龍光院所蔵

国宝「曜変天目」奇跡の三碗同時期公開|そうだ 京都、行こう。

他の2つの曜変天目は見たことありませんが

静嘉堂文庫の曜変天目が一番美しいのではと思います。



美術館を出ました。

出口に静嘉堂文庫の案内をビデオで見せる部屋があります。
ここも必見なので、ぜひ見てみてください。



園内は鬱そうとして森の中にあるようです。



少し散策してみます。



四季折々の草花が楽しめそうです。



戻ってこの奥には



岩崎家の霊堂があるのです。



この廟は現在も使われていうるそうです。



下まで下りてきました。





静嘉堂文庫
いかがだったでしょう。

今回の曜変天目は12月15日までやっています。(笑)







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