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奥会津 只見川の旅 その4 = 白虎隊と戊辰戦争とさざえ堂 = [旅行・探訪]

 
No.4721(So-net 2433+Diary 2288) 2017年Blog WebDiary Since 2002



奥会津 只見川の旅 その3=会津いいとこ一度はおいで!向瀧と鶴ヶ城=

鶴ヶ城から飯盛山に向かいます。



8月11日(土) 14:45

飯盛山にやってきました。



飯盛山と言えば白虎隊です。

そして白虎隊と言えば戊辰戦争です。



僕もさほど詳しくはありませんが、それでも
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」に常に戊辰戦争の事が出てきます。

写真は6巻ですが、いまやっと9巻(全10巻)を読んでいます。


白虎隊は、会津戦争(戊辰戦争の局面の一つ)に際して会津藩が組織した16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には幼少組として13歳の少年も加わっていた。
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。
白虎隊は本来は予備兵力であった。充足数はおよそ340名程度とされた。なお、装備していた火器は旧式銃のみであったとされる。これは火縄銃よりはましというレベルの装備であり、新政府軍の主力たる西南雄藩部隊の装備に対して著しく劣っていた。
会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、その上重要な進軍路であった十六橋を落とすことに失敗したという防衛戦略上の不備も重なり、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊も、これを支援する形で前線へと進軍した。
しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、8月23日に負傷者を抱えながら残りの合計7人が郊外の飯盛山へと落ち延びた。この時、深刻な負傷によりこれ以上はもはや戦えないと悟り結果7名が自刃を決行し、6名が死亡、唯一喉を突いた飯沼貞吉のみが一命を取り留めた。一般に白虎隊は若松城周辺の火災を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。
白虎隊 - Wikipedia

だからなおさら、
会津の人たちが白虎隊をいまでも弔うのが分かります。



いま会津では戊辰戦争150周年ということで
各所に旗がたち、観光客の目にとまります。

・義に殉じた戦い戊辰戦争
・京の都を守った会津藩
・義に死すとも不義に生きず
・謂われなき汚名を雪ぐため会津藩は戦った
・会津の人は戊辰戦争後の苦難の時代を誇り高く生き抜いた。


会津若松市戊辰150周年記念事業

「官軍と賊軍」の「賊軍」という言葉にどれだけ悔しい思いを
会津の人たちは抱いてきたのだろう。

そういう思いは150年たっても消えないのかも知れない。
その事を飯盛山に来て思いました。



これは「飯盛山 戸ノ口堰洞穴」です。


飯盛山の山腹に、水流の中、
ぽっかりと口を開けている洞門がある。

これは、猪苗代湖の水を、会津地方に引くため掘られた洞穴で、
戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)という。
猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら二十名は、
鶴ヶ城を目指して、この長さ約一五〇メートルの洞穴を潜り、
命からがら、飯盛山の中腹へと至った。
主君の御城、鶴ヶ城の安否を確かめんとする一心で、
冷たい水が容赦なく流れる洞穴の中を、
身を屈め、足を取られながらも、進んでいった。
そうして、飯盛山の中腹に辿り着いた末、
彼らは城下の黒煙を目にすることとなる。

その無情―、少年たちの無念、思うに余りある。
14. 飯盛山 戸ノ口堰洞穴 – 【会津物語】

悲しい白虎隊の物語です。



奥に見えるのが戸ノ口堰洞穴。



さて、さざえ堂です。



奥に見えるのがさざえ堂。




栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は螺旋構造の回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。
なお、二重らせん構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランスの世界遺産であるシャンボール城(ロワール地方)内部の、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられる二重螺旋階段が知られている。これが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。
栄螺堂 - Wikipedia






しかし、重要文化財なのに

土足でそのまま中を上がっていけます。
なおかつ無料。

心ない観光客のいたずらとか心配になります。













写真よりも動画で見た方が一目瞭然!(笑)



前半が大内宿で後半にさざえ堂です。
動画はこれだけ。(笑)

それにしても、



オリンパス E-M1 Mark II の手ぶれ補正は素晴らしい!



さざえ堂を後にします。



さざえ堂を見学するときに、車を駐めたお土産屋さんのおばちゃん!

ただで帰るわけに行かないので、右に見えるそば茶を買いました。
いま毎日、いまも飲んでます。(笑)



15:30

やっと会津若松の見学を終えて、只見に向かいます。







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middrinn

さざえ堂は行ったことあるので、
いつも以上に興味深く拝見(^^)
撮るのが大変だったのでは^_^;
by middrinn (2018-08-17 08:49) 

いであ

middrinn さんも行かれたのですね!
写真撮るよりもその整理が大変です。550枚くらいの写真をいま320枚。
その整理に半日かかりました。酔ってたので余計に時間かかった。(笑)

by いであ (2018-08-17 10:31) 

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