No.3952(So-net 1663+ Diary 2288)
2015年Blog Web Diary
音無親水公園から飛鳥山公園へ:IDEA's Gallery の続きです。
飛鳥山公園にやって来ました。
飛鳥山公園といえば「さくら」が有名です。
この地を桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。約300年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山を桜の名所にしたのです。
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飛鳥山公園|東京都北区
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そうなんですよ!飛鳥山と言えば桜!
しかし、桜の木は青々とした緑一色です。(笑)
それでもどんな場所なのでしょう?
桜の頃は見事でしょうね
「飛鳥山公園」の名の通り一帯は小高い丘になっているが、「飛鳥山」という名前は国土地理院の地形図には記載されておらず、その標高も正確には測量されていなかった。北区では、「東京都で一番低い」とされる港区の愛宕山(25.7メートル)よりも低い山ではないかとして、2006年に測量を行い、実際に愛宕山よりも低いことを確認したとしている(測量結果は公表していない)。北区は国土地理院に対し、飛鳥山を地形図に記載するよう要望したが採択されなかった。 |
飛鳥山公園 - Wikipedia
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なるほどね。
東京都で一番低いで争ってる(笑)
この石組みも親水公園なのですが、この時間は水が出ていません。
そこで水分補給。
違うか?(笑)
しばし休憩
子供連れには楽しい公園のようです。
子供にはぜったい嬉しいよね
国鉄D51形蒸気機関車 853号機 - 1943年製造
僕にはこの建物の方が良かったです。
青淵文庫
青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(当財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。1925(大正14)年の竣工で、栄一の書庫として、また接客の場としても使用されました。
渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んで柏の葉をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。
当初収蔵されていた「論語」をはじめ多くの漢籍は、1963(昭和38)年、渋沢家から東京都立日比谷図書館に寄贈され、現在は東京都立中央図書館に所蔵されています。
渋沢史料館開館日の10:00~15:45に公開をしています。
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渋沢史料館|公益財団法人 渋沢栄一記念財団
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この時、10時前で中は見ること出来ませんでした。
でもお庭だけでも気持ち良かった~
続いては晩香廬(ばんこうろ)です。
その前にいつものポーズ!(笑)
晩香廬
晩香廬(ばんこうろ)は、渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室です。1917(大正6)年の竣工で、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。
晩香廬は内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。
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渋沢史料館|公益財団法人 渋沢栄一記念財団
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強者どもの夢の跡
飛鳥山公園で渋沢栄一に会えるとは思いませんでした。
銅像の下のプレート(手ぶれですいません)
右から3行目に渋沢栄一と書かれてます。
渋沢栄一と別れて本郷通りを進みます。
この建物は?
紙幣でも印刷するのかな?
国立印刷局は、決済システムの中で重要な役割を果たしている日本銀行券を始め、法令等の政府情報の公的な伝達手段である官報、旅券、郵便切手、証券類など、国民生活に密着した公共性の高い製品を製造しています。 |
独立行政法人 国立印刷局 - 国立印刷局について
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やっぱり紙幣を印刷してるのか?!
いや、王子工場は「
郵便切手その他諸証券類の製造」でした。
もし紙幣を印刷してたら、あんな手薄な警備じゃないよね。(笑)
それよりも
渋沢栄一が関係してるからこの地にあるんだ!
先へ進みます。
ここは植木屋さんの草花の病院です。(意味不明(笑))
やっと旧古河庭園にトウチャコー
いやー人がいない!
これはいいぞ~(笑)
旧古河庭園は明日のこころだ~(笑)
良い写真ばかりで嬉しいです。
飛鳥山公園はレッスンに行く前に立ち寄るくらいでしたので、ほとんど行ってないも同然なのです。
桜なのですが、私の飛鳥山公園は紫陽花なんです。
紫陽花のイメージが強くて桜ではないのです。
都電、飛鳥山 名前が懐かしい~
by paula (2016-06-17 11:41)
paulaさん、こんにちは!
そうそう!飛鳥山はアジサイも有名ですよね。
でも僕の歩いた道沿いにはアジサイなかったです。残念
さて、明日は旧古河庭園です。
お楽しみに〜(笑)
by いであ (2016-06-17 11:59)