3・11を語り継ぐ [東日本大震災]
2014年3月11日(火)月歴2月11日 2013年Blog
3月11日を迎えました。
この3月11日を語る事が何よりの追悼だと思い
僕のブログからいくつかの写真を集めてみます。
決して忘れる事はありません。(Blog 2013-03-12)
あの日の事は決して忘れません。
2011年3月20日の渋谷です。
3月11日から日本中の人が引きこもりのように家にいて
被災地のテレビばかり見ていたのだと思います。
そして僕はやっと20日に仕事で渋谷に出てきました。
東急、西武などのデパートは外資系のショップが閉店し
これが渋谷かと思うほど人がいませんでした。
この写真は、一見すると普通の写真ようなのですが
街頭の大きな液晶画面も消えたままだったのです。
余震が多く続き僕は「地震酔い」防止器を作りました。
3・11以後では地震への恐怖が大きく変わりました。
そして僕は5月にコナちゃんらとボランティアに行きました。
田老地区の様子は今での脳裏に焼き付いています。
ボランティアは宮古でヘドロの撤去などをしましたが、
大したことは出来ませんでした。
[ 2257] ボランティア1日目 2011年05月05日(木)
宮古ボランティア(picasa)
かわいキャンプ ボランティア活動決定(Blog 2011-07-13)
この僕の書いた「かわいキャンプ」から仲間が増えたことです。
はじめまして! 「かわいキャンプ」で検索してこちらに来ました。 自分も今月初めに「かわいキャンプ」で宿泊して ボランティアに行って来ました。 後略 by えふぅ (2011-07-19 18:39) |
はじめまして。 ひろと申します。 かわいキャンプを検索して、たどり着きました。 えふぅさんのブログも、拝見させていただいています。 後略 by ひろ (2011-07-21 23:04) |
はじめまして、先日約、10日の活動を終えてかわいキャンプから帰ってまいりました。ここは単身で日本全国から個性あふれる面々が集まってきます。ワタスはほんとにみんなから凄いパワーをもらいました。 by うめさん (2011-07-27 11:52) |
ここをみて、決めました。電話もしました。 当日、きっと会えますね。 二人グミ 夫婦 ブロンコと、BMWのってます(オフ)。 北海道から、八戸に4時45分について、その日はゆっくり移動して、ここに入る。 13日は移動のみ。 次の日から、2日間ボランティア(ないかも) 14/15日に 活動。16日は移動。帰る。 かんじで。 会ったらどうぞよろしく! by ゆき (2011-08-04 19:01) |
かわいキャンプに行かれるとのことで、大変ご苦労様です。 こちらにはえふぅさんのブログよりたどりつきました。 私もつい先日、かわいキャンプに行ってました。 中略 また何か思い出したら、コメントさせていただきます。 by ポン太(おがわ) (2011-08-08 19:15) |
2011-07-13 コメント(40)
かわいキャンプ(Blog)
こうして多くの人と出会いながら行ってきた「かわいキャンプ」。
河川敷を耕した大槌町菜の花プロジェクト(Blog)
かわいキャンプで知り合ったTetsuroくんは今では立派な社会人です!
しかし「漁師の徒然なるブログ」を見ても、被災地の復興はまだまだです。
「大槌町菜の花プロジェクト支援会」「大槌町菜の花交流会2012」
花井 千美 さんにお借りした大槌町の写真です。
こうして春が来て、花が咲くように、いつか必ずや復興します。
それまで僕らは3・11を忘れずに語り継ぐ事だと思うのです。
2014-03-11 06:24
nice!(4)
コメント(6)
トラックバック(0)
3.11は東京で経験しました。
その頃はまだ、いであさんのブログにも出会ってなかった。
23時過ぎ、ぞろぞろとした人並みの中、品川から糀谷まで2時間ぐらい
かけて歩いて帰ったのが昨日のことのようです。
マンションに戻ったら、トースターが床に落ちてた以外、大きな異変は
無かったような記憶があります。
スーパーやコンビニからは、あっという間に食べ物系が消失しましたね。
人間の悲しいサガを見たようでした。
そんな中、九州に帰省したら、普段と一切何も変わりがなく、
これが同じ日本なのかとビックリするやら呆れるやら。
でも、日本人はすごいな、そう思うことも多かった気がします。
まだまだこれからじゃないかなあ、そう思いますね。
by song4u (2014-03-11 08:53)
song4uさんも大変な思いされたのですね。
あの11日の夜はsong4uさんと同じように多くの友達が夜中にかけて帰宅中で
僕はTwitterやメールで、応援し続けてました。
(あの頃はFacebookはほとんどやってなかったな)
皆さん何十キロも歩いて自宅まで帰えられたのですよね。
そして次の土曜日、日曜日はずっとテレビを見て、家に籠ってました。
song4uさんが九州に帰られて驚かれたのも無理ないです。
僕は被災地の宮古に行っても驚きました。
津波で大きく被害受けた地域以外はまったく普通の生活をしていたのです。
しかし311以降、僕は地震が怖くなったのですが、あの大地震を体験した方の
心の中は外見ではわからないくらい、大きく被災してるのでしょうね。
日本はこれからです!
311を忘れない事、そして語る事がなによりの追悼だと思います。
by いであ (2014-03-11 09:10)
早いもので・・と私は言ってしまいます。
でも被災された方々の時は止まったままなのだと思います。
悲しみも苦しみも。
地震以来、精神的に弱くなってしまい家に一人でいられなくなった母。
今でも大きく引きずっています。
主人は女性スタッフを送り届けて午前2時過ぎに糀谷から帰宅しました。
法人会の旅行でスカイツリー(完成前)に行っていた義父母は午前4時に帰宅しました。
家族とも友達とも連絡が取れなかったあの日。
テレビで見る、信じられない被災地の光景。
福島に住まわれていたお世話になった方は家を失いました。
原発から近いところでした。
もう帰れないでしょう。
私も一生忘れることはできません。
そして地震への恐怖は増すばかりです。
本当の復興とはどういうことなのかと改めて考えます。
気が遠くなる思いです。
by paula (2014-03-11 09:53)
paulaさん、3年は早くもあり、まだまだ3年の思いもあります。
被災したわけではない僕らでも、お母様にしてもpaulaさんにしても、
多かれ少なかれあの震災の影響は受けてるんですよね。
本当にあれから地震が怖くなりました。
お母様にしたらなおさらだと思います。大きく傷ついたのだと思います。
そうですか、福島の原発近くの方をご存じなのですね。
あと5年、あと10年したらと思いますが、途中で南海大地震が来るのでは?
と、僕でも悪い方にとらえてしまいます。
とにかく、今日は2時46分に黙祷をささげましょう。
by いであ (2014-03-11 11:15)
2011.3.11
ついこの間だったような・・・だいぶ経ってしまったような
本日の2:46には消防団員として、多くの犠牲になられた方々、ならびに、活動中等に犠牲になってしまった東北各県の254名の消防団員の方たちへ積載車の半鐘をならして黙祷と敬礼をしてまいります。
by えふぅ (2014-03-11 13:50)
えふぅさん、ご苦労さまです。
先ほどまでNHKの番組で家族を亡くされた方々の話を見てました。
涙、涙です。
どんなに時間たっても亡くなった方は戻りません。
しかし当時より落ち着かれたのも確かです。
5年、10年とたっても僕らは311を語り継ぐことだと思います。
えふぅさん、追悼式よろしくお願いします。
by いであ (2014-03-11 14:06)