戦艦三笠と日比谷焼き打ち事件 [旅行・探訪]
平成25年3月20日(水)月歴2月9日 2012年Blog
どぶ板通りを後にして、いよいよ本当の目的地
戦艦三笠に向かいます。
ここからが広大な米軍横須賀基地の入口です。
やっと三笠公園に到着しました。
記念艦「三笠」がすぐ見えます。
東郷平八郎のブロンズ像です。
やっと来ることが出来ました。
ここまでの写真では海に浮かぶ
軍艦のようにも見えますね。(笑)
でも、こうして陸の上にあるのです。(笑)
今にしてはほんとに小さな軍艦です。
しかし、それでも堂々としています。
船首を回るとなんと猿島が見える!
初日の出を猿島を背景に写そうかと
思った時期があったのです。
教科書にない歴史(Blog)
いつか猿島に渡って行ってみたい!
そう書くと明日にも行っちゃう?(笑)
艦内に入りました。ここは通信室。
主砲は甲板にある30センチ砲ですが
これは15cm補助砲で左右にあります。
8センチ砲で、ぐるっと自分で回せます。
人形があってわかりやすいです。
こんな風に砲撃してたのですね。
小説には砲撃のシーンは少ないのですが
それでも小説を思い出されます。
なんと、砲員はここで寝泊まりしてたのです。
Z旗(ゼットき)です。
東郷平八郎が有名な訓示とともに掲げました。
Z旗(wiki)そのものは「私は引き船が欲しい」
上記とは違った意味だったのですね。
いよいよ前甲板から艦橋に上っていきます。
艦橋の操舵室です。通常ここで操舵します。
ここはなんでしょう?
コンクリートの壁で囲まれた、ここも操舵室。
会戦が始まると、艦長、参謀はここに移動して
操舵するのですが…
東郷長官は艦橋の一番上(人がいるとこ)の
最上艦橋で戦闘の指揮をとったのです。
小説には、東郷長官が会戦が終わって艦橋を
降りると、周囲は水しぶきで濡れていたのに
東郷長官の足跡だけ乾いていたとありました。
最上艦橋は見上げても、見下ろしても高い!
右端に見えるのがZ旗です。
さて、艦内ではこのようにビデオで戦艦三笠の
活躍や日露戦争のことを見せてくれました。
ここで僕は「丁字戦法」を実際に見ることができ
敵前大回頭の危険性を知る事が出来たのです。
中甲板に降りて、閲覧室で資料を見ました。
実際に戦艦三笠で撮影に使っていたカメラです。
こんなカメラで写していたのかと感動ものです。
東郷長官だけが持っていたツァイスの双眼鏡。
他の船長、参謀もこれより劣る双眼鏡だったと
度々小説に出てきて「これか!」と思いました。
真之です!!
好古です!!(笑)
さて艦内もそろそろ終わりです。
船尾にある東郷長官の居室。
これで僕は船を下りました。
小説「坂の上の雲」を読み、こうして戦艦三笠を見れて
非常に良かったと同時に、明治の人の苦労を知る上で
ぜひとも多くの人に戦艦三笠の見学を勧めたいのです。
そして、ここでもう一つ書きたい事があります。
それはここにある「日比谷焼き打ち事件」です。
小説は日本海海戦のあとは非常に淡々と書かれていて
その後は全くと言っていいほど書かれてません。
しかし調べると、このように日本の民衆は日露講話条約を
不満として日比谷焼き打ち事件まで起こしているのです。
日本は、陸軍は兵員も武器もまったく不足のなかで戦い
海軍も偶然とも言っていいほどの戦いで勝利したに過ぎず
それを民衆は不満として、もう一度戦争を!と暴動になり
その気運が結局は太平洋戦争になったのだと思うのです。
いま日本で「民意」とよく言われていますが、この明治の
歴史を思うと、このような民意の危うさを感じるのです。
熱くならず、さりとて冷めもせず、歴史を多方面から学ぶ。
戦艦三笠から帰り道、そんな事を考えて帰ってきました。
さて、実は明日も横須賀の話題を書きます!(笑)
2013-03-20 09:27
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