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司馬遼太郎「坂の上の雲」 [映画・TV・本]

  
平成25年3月17日(日)月歴2月6日 2012年Blog
  
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日々是勉強(Blog)

去年の11月末から読み始めた「坂の上の雲」を
3ヶ月半かかってようやく読み終わりました。

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明治の無骨な青年たち秋山好古、秋山真之、
正岡子規らが、登って行けばやがてはそこに
手が届くと思い描いた世界が描かれています。

実は三人が描かれているのは8巻中2巻までで
正岡子規は3巻の冒頭に死んでしまいます。

あとは日露戦争や政治の話ばかりで、明治の
若者の考え方や生き様は点景にしかすぎません。

またこの小説は「竜馬がゆく」もそうなのですが
新聞小説であるために、繰り返し前日分のことや
以前に書かれた話が出てきて煩わしいのです。

しかし、それでも明治の貧しくも輝いていた日本を、
明治の若者を知ることができる貴重な小説です。

いま日本を考える上で、日本男子なら読まないと
ならない小説だと思うのです。ぜひ読んで欲しい。

そして、読まなくても、もし興味がわくかなと思い
小説の一部を抜粋します。
好古(よしふる)真之(さねゆき)、子規の三人を
少しでも感じて欲しいのです。

1.p130
               好古は何がきらいかといっても自分が美男であるとい
うことをひとにいわれるほどきらいなことはなかった。この点でもこの人物は目的主義
であり、美醜は男にとってなんの意味もなさずと平素からいっており、男にとって必要
なのは、「若いころにはなにをしようかということであり、老いては何をしたかという
ことである」というこのたったひとことだけを人生の目的としていた。


1.p141
 好古は、
「男子は生涯一事をなせば足る」
 と、平素自分にいいきかせていた。好古の立場でいえば、自分自身を世界一の騎兵将
校に仕立てあげることと、日本の騎兵の水準を、生涯かかってせめて世界の第三位ぐら
いにこぎつけさせることであった。
 この目標のために彼の生活があるといってよく、自然、その生活は単純明快であった。
弟の真之に対しても、
「身辺は単純明快でいい」
とおしえた。おしえかたは、子規における陸羯南とちがい猛烈であった。


1.p158
「酒をのもう」
 好古は、長靴をぬぎすてるなりいった。祝杯だ、というのだが、真之も子規も飲まな
いから、結局は好古だけがのむ。
 ――酒はおれの病気だ。
 という好古は、他の豪酒家のように他人に酒を強いるということはなかった。徳利を
ひきつけて、冷のまま飲みはじめた。山賊のようである。


1.p158
 酔えば、多少言葉かずが多くなった。
「秋山の兄さん、この世の中で」
 と子規はきいた。
「たれがいちばんえらいとお思いぞな」
「なんのためにきくのだ」
 好古は、質問の本意をきいた。質問の本意をきかずに弁じたてるというのは「政治家
か学者のくせだ」と好古はつねに言う。軍人はちがう、と好古はいう。軍人は敵を相手
の仕事だから、敵についてその本心、気持、こちらに求めようとしていること、などを
あきらかにしてから答えるべきことを答える。そういう癖を平素身につけておかねば、
いざ戦場にのぞんだときには一般論のとりこになったり、独善におち入ったりして負け
てしまう、と好古はいうのである。
「なんのためというて」
 子規は、とまどった。ほんの酒の座の座談のつぎほのつもりできいたのである。
「ああ、なにげになしのものか」
 と、好古はいった。
「生きているひとか」
「そのほうが、ためになります。生きているひとなら、訪ねて会ってもらえるというこ
ともありますから」
 あしは会うことがないが、いまの世の中では福沢諭吉というひとがいちばんえらい」
 と、好古は著書をいくつかあげていったがこの返事は真之にも子規にも意外であった。
好古は軍人だから軍人の名をあげると思ったのである。
 好古の福沢ずきは、かれが歳をとるにつけていよいよつよくなり、その晩年、自分の
子は慶応に入れたし、親類の子もできるだけ慶応に入れようとした。そのくせ生涯福沢
に会ったことがなかった。好古はおそらく、裕福な家にうまれていれば自分自身も福沢
の塾に入りたかったのだろう。


1.p187
「相談があるんぞな」
 と、もちかけた。その一件である。
「あしの頭は、哲学にむいとるか」
 と真之にいった。
 真之はくびをかしげた。ものごとの追求力は常人よりすぐれている。
「しかし、考えを結集させる力が乏しいようだな」
 と、真之はいった。真之にいわせると、「考え」というものは液体か気体で、要する
にとりとめがない。その液体か気体に論理という強力な触媒をあたえて固体にし、しか
も結晶化にする力が、思想家、哲学者といわれる者の力である。その力がなければ、そ
の方面にはすすめない。
「それが弱そうじゃな」
 と、真之はいった。
 それをきいて子規はみるみる顔を赤くし、自己弁護をはじめた。
「弱いのではない。あしの胸中には、結晶化をさまたげる邪魔者があるのじゃ」
「邪魔者とは、なんぞな」
「文芸じゃが」
 と子規はいった。
「詩歌小説というものじゃ。もはやいまでは小説なくては夜もあけぬような気持ちになっ
ている」
「されば、それをやればよかろうが」
 と真之はいうと、子規はにがり顔をした。子規は旧藩主の好意でできた常磐会の給費
をうけている。常磐会は、ゆくゆく大臣参謀か博士になるような子弟のために金を出し
ているのであり、給費生が、詩人歌人あるいは小説家づれになることを好まないであろ
う。
 子規がそれをいうと、真之が、
「俗なことをいうな」
 と、大声をだした。子規もわれながら俗なことをいったとおもったのか、いよいよ顔
を赤くした。


1.p210
(升さんには、言うことばがない)
 と、真之は心が痛みつづけている。共に文学をしようと誓いあったのに、いまさら抜
けて兵隊になるというのは、このころの書生の気分からいえば裏切りであった。
 だから、陳弁できない。
 ――いっそ、置き手紙を書こう。
 と、真之は決意した。顔をあわさず、このままかれらの世界から身を消してしまおう
ということであった。
 この月の最初の土曜日は、雨だった。子規は学校から下宿にもどると、
 ――正岡子規殿
 と、身おぼえのある筆跡でかかれた封筒が机の上にのっている。
(なんぞな)
 とおもってひらくと、はたして真之の手紙であり、子規は思わず窓ぎわに走った。


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最後に「NHK 坂の上の雲」の1シーンをお見せします。
「坂の上の雲」雑感(Blog)

これは奉天陥落から帰る道すがらの好古の馬上の姿だ。
呑兵衛にはなんともカッコイイ!たまらないシーンなのだ!

いま「坂の上の雲」を読み終えて、明治の若者、明治の
時代に思いをはせながら、こうして僕も飲みたいのです。

そして、近いうちに横須賀の戦艦三笠を見にいきます!
明治の若者よ永遠なれ!


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