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龍馬に足りなかったもの [意見・反省・研究]

  
平成24年3月4日(日)月歴2月12日 2011年日記
  
平成24年壬辰(みずのえたつ) 如月(きさらぎ)・2月12日
節気:雨水(寒さはほんのわずか柔らぎ、雪が雨に変わり氷も融けて水になる)
第六候:草木萌動(そうもくめばえいずる=土の中から新しい命が芽生え始める)

>どうしてこんなことが、こんなにも難しいのだろう・・・
このsong4uさんの昨日のコメントに答えようと色々考えているうちに
教育論から国家論に発展してしまいました。難しいですが、それでも
なんとか書いてみたいと思います。

08112901.jpgまず「龍馬に足りなかったもの」を書く前に
この方を紹介します。

品川女子学院校長 漆 紫穂子(うるし・しほこ)
もちろん僕は直にお会いした事はありません。

2008年のカンブリア宮殿で漆氏を拝見してから
素晴らしいと思い、セミナーの講師に招けないか
画策した時期があったのです。(日記1593

残念にも講師の依頼は丁寧に断られましたが
それにして、素晴らしい先生だったのです。

何が素晴らしいか。
彼女にはミッションを描く力があったのです。

私たちは世界をこころに、
 能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、
 才能を伸ばし、夢を育てます。」(HPより)

一見ありきたりのミッション・ステートメント。しかしこのミッションから
教育方針の「28project」が生まれたのです。

28projectって何?
「大学進学をする18歳の時ではなく、28歳の時に社会で生き生きと
活躍できる女性を育てることを目指し、未来から逆算してその土台
づくりをしていく」
そのために中高一貫教育の同校は生徒を育てる時間が3年間では
不十分として、高校の募集を取りやめているのです。

そしてこのミッションのもと、28projectを着実に実践していった同校は
1990年漆氏が改革を始めた当初、偏差値が40(!)しかなかったものが
何と60(!!)になり、同校の受験出願者数は数十倍になったのです。

女子校を再生! 学校改革で偏差値20ポイントアップ(日経ビジネス)
「やる気のスイッチを入れるには」(日経ビジネス)
「改革の80%は失敗の連続だった」(日経ビジネス)

かようにミッション=使命というものがあるか、ないかでは大違いなのです。
もちろん、どのような会社にも「社是」「社訓」「使命」などあると思います。

しかし、それが真にミッション=使命になっているでしょうか?全ての社員が
それを諳んじる事が出来るでしょうか?
そのミッション=使命によって社員全てのベクトルを一つにしてるでしょうか?

ここでミッション=使命についてもう一度元に戻って考えてみます。
それはご存知、ピーター・ドラッカーの有名な「5つの質問」から始まります。
 1.われわれのミッションは何か?
 2.われわれの顧客は誰か?
 3.顧客にとっての価値は何か?
 4.われわれにとっての成果は何か?
 5.われわれの計画は何か?

ここでドラッカーについて勉強するつもりはありませんが、とにかく使命とは
ミッションとは、そこに所属するばらばらな人々を一つにまとめるものです。

我が社にもちろんあります。「全てはお客様のために」たったこれだけです。
ありきたりのミッション・ステートメントです。しかしこの下に五行あります。

社員は五行は諳んじられずとも「全てはお客様のために」これだけは言えます。
僕はミッション・ステートメントは出来るだけ短くシンプルな方がいいと考えます。

それは国家も同じだ!これが今日の結論です。そこで教育論、国家論に転じます。

坂本龍馬は「夕顔丸」船内で船中八策と呼ばれる政治綱領を書き上げ、それが
後の明治政府の新国家体制の基本方針になっていきました。
大政奉還・議会設置・大典制定・海軍拡張・諸外国との国交樹立など八箇条です。

しかしこれは政策綱領であり、国是ではないのです。
これこそが龍馬に足りなかったものなのです。

国是は憲法よりも、何よりも上にあるものであり、全てに先立つものなのです。
例えば、お隣韓国では「反共」。これだけです。フランスは「自由・平等・博愛」
なんとも簡単、明瞭です。しかし国是を明文化している国はそう多くありません。

龍馬は船中八策を書き上げたその時、国是などという発想はなかったと思います。
当時はまだ国家という概念がなく、おぼろげだったからだと思うのです。
それにしても龍馬は国是を書いていたならば、今ほど日本は迷わないと思うのです。

もちろん日本にも国是はなかったわけではありません。明治天皇によって発せられた
五箇条の御誓文。第一条だけ示します。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。

しかしこれは古すぎるし、僕はこの五箇条も国是にはなり得ないと思うのです。
では、いまの日本国憲法の前文はどうでしょうか?

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)

これも僕にとっては古すぎます。それに文章が下手だと思います。前半の中盤に
「そもそも国政は、」と導くくだりが読み手を一度元に戻させるあたり、下手です。

調べるとこの起草者はベアテ・シロタ・ゴードン。ウィーン生まれユダヤ人の
父母を持ち、少女時代に日本で育った米国国籍の舞台芸術監督なのです!

では国是の話に戻って、どんな国是がいまの日本にふさわしいか?
僕が日本国大統領なら(憲法改正して直接選挙で日本の元首を決めるのです!)

「世界に冠たる日本の技術をして、世界平和に貢献する国民たれ!」これだけです。
これはつまり、パックス・ジャポニカです。
本当は「世界に冠たる日本の国民たれ!」これだけでもいいと思うのですが。
そしてこの下に憲法の前文にあたる部分、船中八策にあたる部分を加えるのです。

さて、ここまで読んでいただき誠に恐縮ですが、ばかばかしいとお思いですか?
僕は真面目です。この一行があったら全ての国民は迷わずにすむと思うのです。

まずは教育現場を考えてみましょう。生徒に「世界に冠たる日本の国民たれ!」と。
そうすれば自ずと意識は世界に向かいます。教育現場での混乱もなくなると思うのです。

しかし問題は、このような国是をいまさら作成する困難さです。いまの政治家には無理。
混乱に拍車がかかります。だからこそあの時、龍馬が作っていたならばと思うのです。

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song4u

日曜にもかかわらず、今日はひと仕事するハメになり、コメントが大幅に
遅れてしまいました。申し訳ありません。

さて、品川女子学院。
糀谷から品川まで、京急で通勤していたぼくは、第一京浜沿いに建つ
北品川の茶色の校舎を、ほとんど毎朝のように電車から眺めてました。
でも、そういうポリシーを持った学校だったとは、全然知りませんでした。
28project、練られてますよねえ。さすがだと思いました!

>教育論から国家論に発展してしまいました。

最終的にそうなるのは必然だと思います。
しかし、そこまで話が大きくなってしまうと、なかなか身体が動くような
具体的な方策に結びつかないような気がして、なるべく小さなテーマに
ブレークダウンして考えたいと常々思っていました。
でも、せっかくだから、話の大小に関係なく、もう少し突っ込んで考えて
みようという気になりました。

ぼくは全然詳しくなく、お恥ずかしい限りなのですが、ひょっとすると龍馬
の仕事にも足りないものがあったのだろうと思います。
また、もしも龍馬が十分なものを残していたならば、今よりももう少しマシ
だったんじゃないか、とも思います。
しかし、今、ぼくは思います。本質的で圧倒的な間違いは、終戦直後の
約10年間で確立されてしまったのではないか、と。
龍馬がいくら十分なものを残していたとしても、結局、戦後の10年間で
跡形もなく霧散することになってしまったのではないか、と。

やはり、鉄は熱いうちに打たねばならなかったのではないでしょうか?
ぼくが思うに、「日本」という鉄は、諸般の事情により熱いうちに打つことが
できなかった。それは日本が持つ特殊性であり、アメリカのエゴであり、
敗戦による自らの方向性の喪失(消極的にではあるが、自らもそう望んだ)
だったように思います。
極めて残念ではありますが、何でもいいから、しゃにむになれるものに
自らを委ねることによって、敗戦の悪夢を忘れようとしたのでしょうか?
そう考えると、先人たちの想いに、同情の念を禁じ得ません。

問題なのは、その後、ほとんど何の手も打たなかったことです。
終戦直後の10年間はやむを得ません。
しかしその後、軌道修正する機会は山ほどあったはずなのに、漫然と
時を過ごしてしまったのではないか?
恐らく好景気に沸き、冷静に自らを見つめ直すチャンスを逸してしまった
ものと思われます。

うーむ、やっぱりテーマが大き過ぎるのかもしれません。
その証拠に、ぼくは単なる評論家発言に終始している感じです。
それだとあまり意味はないんですよね。身体が動かなくてはね。
ちょっと小休止。^^;
by song4u (2012-03-04 20:12) 

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